足でふんでおくこともあった。遊びのはてにするこの精算は私の心に美しいもの純潔《じゅんけつ》なものをもたらした。子どもでありながらなんといじらしいことをしたものだろう。
 ある日の日暮《ひぐれ》どき私たちはこの遊びをしていた。私に豆腐屋《とうふや》の林太郎《りんたろう》に織布《しょくふ》工場のツル――の三人だった。私たちは三人同い年だった。秋葉《あきば》さんの常夜燈《じょうやとう》の下でしていた。
 ツルは女だからさすがに花をうまくあしらい美しいパノラマをつくる、また彼女《かのじょ》はそれをつくり私たちにみせるのがすきだった。ではじめのうち林太郎《りんたろう》と私のふたりがおにでツルのかくした花をさがしてばかりいた。
 私はツルのつくった花の世界のすばらしさにおどろかされた。彼女は花びらを一つずつ用い草の葉や、草の実をたくみに点景《てんけい》した。ときには帯《おび》のあいだにはさんでいる小さい巾着《きんちゃく》から、砂粒《すなつぶ》ほどの南京玉《なんきんだま》を出しそれを花びらのあいだに配《はい》した。まるで花園に星のふったように。そしてまた私はツルがすきだった。
 遊びにはおのずから遊びの終わるときがくるものだが、最後にツルと林太郎とふたりで花をかくし私がひとりおにになった。「よし」といわれて私はさがしにいったが、いくらさがしてもみあたらない。「もっと向こうよ、もっと向こうよ」とツルがいうままにそのあたりをなでまわるがどうしてもみあたらない。林太郎《りんたろう》はにやにや笑《わら》って常夜燈《じょうやとう》にもたれてみている。林太郎はただツルの花をうずめるのをみていただけに相違《そうい》ない。「お茶わかしたよ」ととうとう私はかぶとをぬいだ。すれば、ツルの方で意外のところから花のありかを指摘《してき》してみせるのが当然なのだがツルはそうしなかった。「そいじゃ明日《あした》さがしな」といった。
 私は残念でたまらなかったのでまた地びたをはいまわったがついにみつからなかった。でその日は家に帰った。たびたび常夜燈《じょうやとう》の下の広くもない地びたを眼《め》にうかべた。そのどこかに、ツルがつくったところのこの世のものならぬ美しさをひめた花のパノラマがあることを思った。その花や南京玉《なんきんだま》の有様《ありさま》が手にとるように閉《と》じた眼《め》にみえた。
 朝起きる
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