とすぐ私は常夜燈《じょうやとう》の下へいってみた。そしてひとりでツルのかくした花をさがした。息をはずませながら。まるで金でもさがすように。だがついにみつからなかった。
 それから以後たびたび思い出してはそこへいってさがした。花はもうしおれはてているだろうということはすこしも考えなかった。いつでも眼《め》を閉《と》じさえすれば、ツルのかくした花や南京玉《なんきんだま》が、水のしたたる美しさでうす明かりの中にうかぶのであった。たれか他《ほか》の者にみつけ出されると困《こま》るので、私はひとりのときにかぎってそこへさがしにいった。
 遊び相手がなくてひとりさびしくいるとき、常夜燈《じょうやとう》の下にツルのかくしたその花があるという思いは私を元気づけた。そこへかけつけ、さがしまわるあいだの希望《きぼう》は何にもかえがたかった。いくらさがしてもみつからない焦燥《しょうそう》もさることながら。
 ところがある日、私は林太郎《りんたろう》にみられてしまった。私が例のように常夜燈《じょうやとう》の下をすみからすみまでさがしまわっていると、いつのまにきたのか林太郎が常夜燈《じょうやとう》の石段《いしだん》にもたれてとうもろこしをたべていた。私は林太郎にみられたと気づいた瞬間《しゅんかん》ぬすみの現行《げんこう》をおさえられたようにびくっとした。私はとっさのあいだにごまかそうとした。
 だが、林太郎《りんたろう》は私の心の底までつまり私がツルをすいているということまでみとおしたようににやにやと笑《わら》って「まださがいとるのけ、ばかだな」といった。「あれ嘘《うそ》だっただよ、ツルあ何も埋《い》けやせんだっただ」
 私は、ああそうだったのかと思った。心についていたものがのぞかれたように感じて、ほっとした。
 それからのち、常夜燈《じょうやとう》の下は私にはなんの魅力《みりょく》もないものになってしまった。ときどきそこで遊んでいて、ここには何もかくされてはないのだと思うとしらじらしい気持ちになり、美しい花がかくされているのだと思いこんでいた以前のことをなつかしく思うのであった。
 林太郎が私に真実《しんじつ》を語らなかったら、私にはいつまでも常夜燈《じょうやとう》の下のかくされた花の思いは楽しいものであったかどうか、それはわからない。
 ツルとはその後、同じ村にいながら長いあいだ交渉《こ
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