ないので、かしらはひょこんと跳《と》びあがりました。そして、川《かわ》にとびこんで向《む》こう岸《ぎし》へ逃《に》げようか、藪《やぶ》の中《なか》にもぐりこんで、姿《すがた》をくらまそうか、と、とっさのあいだに考《かんが》えたのであります。
 しかし子供達《こどもたち》は、縄切《なわき》れや、おもちゃの十手《じって》をふりまわしながら、あちらへ走《はし》っていきました。子供達《こどもたち》は盗人《ぬすびと》ごっこをしていたのでした。
「なんだ、子供達《こどもたち》の遊《あそ》びごとか。」
とかしらは張《は》り合《あ》いがぬけていいました。
「遊《あそ》びごとにしても、盗人《ぬすびと》ごっことはよくない遊《あそ》びだ。いまどきの子供《こども》はろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが思《おも》いやられる。」
 じぶんが盗人《ぬすびと》のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草《くさ》の中《なか》にねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、
「おじさん。」
と声《こえ》をかけられました。ふりかえって見《み》ると、七|歳《さい》くらいの、かわいらしい男《おとこ》の子《こ》が牛《うし》の仔《こ》をつれて立《た》っていました。顔《かお》だちの品《ひん》のいいところや、手足《てあし》の白《しろ》いところを見《み》ると、百姓《ひゃくしょう》の子供《こども》とは思《おも》われません。旦那衆《だんなしゅう》の坊《ぼ》っちゃんが、下男《げなん》について野《の》あそびに来《き》て、下男《げなん》にせがんで仔牛《こうし》を持《も》たせてもらったのかも知《し》れません。だがおかしいのは、遠《とお》くへでもいく人《ひと》のように、白《しろ》い小《ちい》さい足《あし》に、小《ちい》さい草鞋《わらじ》をはいていることでした。
「この牛《うし》、持《も》っていてね。」
 かしらが何《なに》もいわないさきに、子供《こども》はそういって、ついとそばに来《き》て、赤《あか》い手綱《たづな》をかしらの手《て》にあずけました。
 かしらはそこで、何《なに》かいおうとして口《くち》をもぐもぐやりましたが、まだいい出《だ》さないうちに子供《こども》は、あちらの子供《こども》たちのあとを追《お》って走《はし》っていってしまいました。あの子供《こども》たちの仲間《なかま》になるために、この草鞋《わらじ》をはいた子供《こども》はあとをも見《み》ずにいってしまいました。
 ぼけんとしているあいだに牛《うし》の仔《こ》を持《も》たされてしまったかしらは、くッくッと笑《わら》いながら牛《うし》の仔《こ》を見《み》ました。
 たいてい牛《うし》の仔《こ》というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、持《も》っているのがやっかいなものですが、この牛《うし》の仔《こ》はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大《おお》きな眼《め》をしばたたきながら、かしらのそばに無心《むしん》に立《た》っているのでした。
「くッくッくッ。」
とかしらは、笑《わら》いが腹《はら》の中《なか》からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子《でし》たちに自慢《じまん》ができるて。きさまたちが馬鹿《ばか》づらさげて、村《むら》の中《なか》をあるいているあいだに、わしはもう牛《うし》の仔《こ》をいっぴき盗《ぬす》んだ、といって。」
 そしてまた、くッくッくッと笑《わら》いました。あんまり笑《わら》ったので、こんどは涙《なみだ》が出《で》て来《き》ました。
「ああ、おかしい。あんまり笑《わら》ったんで涙《なみだ》が出《で》て来《き》やがった。」
 ところが、その涙《なみだ》が、流《なが》れて流《なが》れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが涙《なみだ》を流《なが》すなんて、これじゃ、まるで泣《な》いてるのと同《おな》じじゃないか。」
 そうです。ほんとうに、盗人《ぬすびと》のかしらは泣《な》いていたのであります。――かしらは嬉《うれ》しかったのです。じぶんは今《いま》まで、人《ひと》から冷《つめ》たい眼《め》でばかり見《み》られて来《き》ました。じぶんが通《とお》ると、人々《ひとびと》はそら変《へん》なやつが来《き》たといわんばかりに、窓《まど》をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声《こえ》をかけると、笑《わら》いながら話《はな》しあっていた人《ひと》たちも、きゅうに仕事《しごと》のことを思《おも》い出《だ》したように向《む》こうをむいてしまうのでありました。池《いけ》の面《おもて》にうかんでいる鯉《こい》でさえも、じぶんが岸《きし》に立《た》つと、がばッと体《たい》をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻《さるまわ》し
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