の背中《せなか》に負《お》われている猿《さる》に、柿《かき》の実《み》をくれてやったら、一口《ひとくち》もたべずに地《じ》べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌《きら》っていたのです。みんながじぶんを信用《しんよう》してはくれなかったのです。ところが、この草鞋《わらじ》をはいた子供《こども》は、盗人《ぬすびと》であるじぶんに牛《うし》の仔《こ》をあずけてくれました。じぶんをいい人間《にんげん》であると思《おも》ってくれたのでした。またこの仔牛《こうし》も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛《ははうし》ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供《こども》も仔牛《こうし》も、じぶんを信用《しんよう》しているのです。こんなことは、盗人《ぬすびと》のじぶんには、はじめてのことであります。人《ひと》に信用《しんよう》されるというのは、何《なん》といううれしいことでありましょう。……
 そこで、かしらはいま、美《うつく》しい心《こころ》になっているのでありました。子供《こども》のころにはそういう心《こころ》になったことがありましたが、あれから長《なが》い間《あいだ》、わるい汚《きたな》い心《こころ》でずっといたのです。久《ひさ》しぶりでかしらは美《うつく》しい心《こころ》になりました。これはちょうど、垢《あか》まみれの汚《きたな》い着物《きもの》を、きゅうに晴《は》れ着《ぎ》にきせかえられたように、奇妙《きみょう》なぐあいでありました。
 ――かしらの眼《め》から涙《なみだ》が流《なが》れてとまらないのはそういうわけなのでした。
 やがて夕方《ゆうがた》になりました。松蝉《まつぜみ》は鳴《な》きやみました。村《むら》からは白《しろ》い夕《ゆう》もやがひっそりと流《なが》れだして、野《の》の上《うえ》にひろがっていきました。子供《こども》たちは遠《とお》くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声《こえ》が、ほかのもの音《おと》とまじりあって、ききわけにくくなりました。
 かしらは、もうあの子供《こども》が帰《かえ》って来《く》るじぶんだと思《おも》って待《ま》っていました。あの子供《こども》が来《き》たら、「おいしょ。」と、盗人《ぬすびと》と思《おも》われぬよう、こころよく仔牛《こうし》をかえしてやろう、と考《かんが》えていました。
 だが、子供《こども》たちの声《こえ》は、村《むら》の中《なか》へ消《き》えていってしまいました。草鞋《わらじ》の子供《こども》は帰《かえ》って来《き》ませんでした。村《むら》の上《うえ》にかかっていた月《つき》が、かがみ職人《しょくにん》の磨《みが》いたばかりの鏡《かがみ》のように、ひかりはじめました。あちらの森《もり》でふくろうが、二声《ふたこえ》ずつくぎって鳴《な》きはじめました。
 仔牛《こうし》はお腹《なか》がすいて来《き》たのか、からだをかしらにすりよせました。
「だって、しようがねえよ。わしからは乳《ちち》は出《で》ねえよ。」
 そういってかしらは、仔牛《こうし》のぶちの背中《せなか》をなでていました。まだ眼《め》から涙《なみだ》が出《で》ていました。
 そこへ四|人《にん》の弟子《でし》がいっしょに帰《かえ》って来《き》ました。

       三

「かしら、ただいま戻《もど》りました。おや、この仔牛《こうし》はどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの盗人《ぬすびと》じゃない。おれたちが村《むら》を探《さぐ》りにいっていたあいだに、もうひと仕事《しごと》しちゃったのだね。」
 |釜右ヱ門《かまえもん》が仔牛《こうし》を見《み》ていいました。かしらは涙《なみだ》にぬれた顔《かお》を見《み》られまいとして横《よこ》をむいたまま、
「うむ、そういってきさまたちに自慢《じまん》しようと思《おも》っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」
といいました。
「おや、かしら、涙《なみだ》……じゃございませんか。」
と海老之丞《えびのじょう》が声《こえ》を落《お》としてききました。
「この、涙《なみだ》てものは、出《で》はじめると出《で》るもんだな。」
といって、かしらは袖《そで》で眼《め》をこすりました。
「かしら、喜《よろこ》んで下《くだ》せえ、こんどこそは、おれたち四|人《にん》、しっかり盗人根性《ぬすっとこんじょう》になって探《さぐ》って参《まい》りました。|釜右ヱ門《かまえもん》は金《きん》の茶釜《ちゃがま》のある家《いえ》を五|軒《けん》見《み》とどけますし、海老之丞《えびのじょう》は、五つの土蔵《どぞう》の錠《じょう》をよくしらべて、曲《ま》がった釘《くぎ》一|本《ぽん》であけられることをたしかめますし、大工《
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