つまでも忘《わす》れられない鐘《かね》だ。なぜなら、尼寺《あまでら》の庭《にわ》の鐘楼《しゅろう》の下《した》は、村《むら》のこどものたまりばだからだ。僕《ぼく》たちが学校《がっこう》にあがらないじぶんは、毎日《まいにち》そこで遊《あそ》んだのだ。学校《がっこう》にあがってからでも学校《がっこう》がひけたあとでは、たいていそこにあつまるのだ。夕方《ゆうがた》、庵主《あんじゅ》さんが、もう鐘《かね》をついてもいいとおっしゃるのをまっていて、僕《ぼく》らは撞木《しゅもく》を奪《うば》いあってついたのだ。またごんごろ鐘《がね》は、僕《ぼく》たちの杉《すぎ》の実《み》でっぽうや、草《くさ》の実《み》でっぽうのたまをどれだけうけて、そのたびにかすかな澄《す》んだ音《おと》で僕達《ぼくたち》の耳《みみ》をたのしませてくれたか知《し》れない。
 おもえば、ごんごろ鐘《がね》についてのおもいでは、数《かず》かぎりがない。

 三|月《がつ》二十二|日《にち》
 春休《はるやす》み第《だい》二|日《にち》の今日《きょう》、ごんごろ鐘《がね》がいよいよ「出征《しゅっせい》」することになった。
 兎《うさぎ
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