に誰《だれ》もいやな顔《かお》をしなかった。僕《ぼく》らはびっこをひきひき深谷《ふかだに》までゆき、お爺《じい》さんをかえして来《き》た。
夕御飯《ゆうごはん》のとき、きょうのことを話《はな》したら、お父《とう》さんが、それはよいことをした、とおっしゃった。
「ん、そういえば、あのごんごろ鐘《がね》は深谷《ふかだに》のあたりでつくられたのだ。いまでもあの辺《あた》りに鐘鋳谷《かねいりだに》という名《な》の残《のこ》っている小《ちい》さい谷《たに》があるが、そこで、鋳《い》たということだ。その頃《ころ》の若《わか》いもんたちは、三日三晩《みっかみばん》、たたら[#「たたら」に傍点]という大《おお》きなふいごを足《あし》で踏《ふ》んで、銅《かね》をとかす火《ひ》をおこしたもんだそうだ。」
それでは、あのお爺《じい》さんもまたごんごろ鐘《がね》と深《ふか》いつながりがあったわけだ。
僕《ぼく》は又《また》してもおもい出《だ》した、吉彦《よしひこ》さんが鐘《かね》をつくとき言《い》った言葉《ことば》を――「西《にし》の谷《たに》も東《ひがし》の谷《たに》も、北《きた》の谷《たに》も南《み
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