すると今《いま》まではっきりしなかった鐘《かね》の銘《めい》も、だいぶんはっきりして来《き》た。吉彦《よしひこ》さんがちょっと読《よ》んで見《み》て、
「こりゃ、お経《きょう》だな。」
といった。それからまた、
「安永《あんえい》何《なん》とか書《か》いてあるぜ。こりゃ安永年間《あんえいねんかん》にできたもんだ。」
といった。すると、どもりの勘太《かんた》爺《じい》さんが、
「そ、そうだ。う、う、おれの親父《おやじ》が、う、う、生《う》まれたとしにできた、げな。お、お、親父《おやじ》は安永《あんえい》の、う、う、うまれだ。」
と、かみつくようにいった。
 紋次郎君《もんじろうくん》とこの婆《ばあ》さんが、
「三河《みかわ》のごんごろという鐘師《かねし》がつくったと書《か》いてねえかン。」
ときいた。
「そんなことは書《か》いてねえ、助九郎《すけくろう》という名《な》が書《か》いてある。」
と、吉彦《よしひこ》さんが答《こた》えると、婆《ばあ》さんは何《なに》かぶつくさいってひっこんだ。
 和太郎《わたろう》さんが牛車《ぎゅうしゃ》をひいて来《き》たとき、きゅうに庵主《あんじゅ》さ
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