し、すでにその用意《ようい》に着手《ちゃくしゅ》したるものもあり。
 また百姓《ひゃくしょう》の輩《はい》は地租改正《ちそかいせい》のために竹槍《ちくそう》席旗《せきき》の暴動《ぼうどう》を醸《かも》したるその余炎《よえん》未《いま》だ収《おさ》まらず、況《いわ》んや現に政府の顕官《けんかん》中にも竊《ひそか》に不平士族と気脈《きみゃく》を通じて、蕭牆《しょうしょう》の辺《へん》に乱《らん》を企《くわだ》てたる者さえなきに非ず。形勢《けいせい》の急《きゅう》なるは、幕末の時に比《ひ》して更《さ》らに急なるその内乱《ないらん》危急《ききゅう》の場合に際し、外国人の挙動《きょどう》は如何というに、甚《はなは》だ平気《へいき》にして干渉《かんしょう》などの様子《ようす》なきのみならず、日本人においても敵味方《てきみかた》共《とも》に実際|干渉《かんしょう》を掛念《けねん》したるものはあるべからず。
 或は西南の騒動《そうどう》は、一個の臣民《しんみん》たる西郷が正統《せいとう》の政府に対して叛乱《はんらん》を企《くわだ》てたるものに過ぎざれども、戊辰《ぼしん》の変《へん》は京都の政府と江戸の政府と対立《たいりつ》して恰《あたか》も両政府の争《あらそい》なれば、外国人はおのおのその認《みと》むるところの政府に左袒《さたん》して干渉《かんしょう》の端《たん》を開くの恐《おそ》れありしといわんか。外人の眼を以て見《み》るときは、戊辰《ぼしん》における薩長人《さっちょうじん》の挙動《きょどう》と十年における西郷の挙動と何の選《えら》むところあらんや。等《ひと》しく時の政府に反抗《はんこう》したるものにして、若《も》しも西郷が志《こころざし》を得て実際《じっさい》に新政府を組織《そしき》したらんには、これを認むることなお維新政府《いしんせいふ》を認めたると同様なりしならんのみ。内乱の性質《せいしつ》如何《いかん》は以て干渉の有無《うむ》を判断《はんだん》するの標準《ひょうじゅん》とするに足《た》らざるなり。
 そもそも幕末の時に当りて上方《かみがた》の辺に出没《しゅつぼつ》したるいわゆる勤王有志家《きんのうゆうしか》の挙動を見れば、家を焼《や》くものあり人を殺《ころ》すものあり、或は足利《あしかが》三代の木像《もくぞう》の首を斬《き》りこれを梟《きょう》するなど、乱暴狼籍《らんぼう
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