瘠我慢の説
瘠我慢の説に対する評論について
石河幹明
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)瘠我慢《やせがまん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)先生|発病《はつびょう》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)努※[#二の字点、1−2−22]《ゆめゆめ》
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一月一日の時事新報に瘠我慢《やせがまん》の説《せつ》を公《おおやけ》にするや、同十三日の国民新聞にこれに対する評論《ひょうろん》を掲《かか》げたり。先生その大意《たいい》を人より聞き余《よ》に謂《いい》て曰《いわ》く、兼《かね》てより幕末外交の顛末《てんまつ》を記載《きさい》せんとして志を果《はた》さず、今評論の誤謬《ごびゅう》を正す為《た》めその一端を語《かた》る可《べ》しとて、当時の事情を説《と》くこと頗《すこぶ》る詳《つまびらか》なり。余すなわちその事実に拠《よ》り一文を草し、碩果生《せきかせい》の名を以てこれを同二十五日の時事新報に掲載《けいさい》せり。実に先生|発病《はつびょう》の当日なり。本文と関係《かんけい》あるを以て茲《ここ》に附記《ふき》す。
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[#地から2字上げ]石河幹明|記《しるす》
瘠我慢の説に対する評論について
[#地から2字上げ]碩果生《せきかせい》
去る十三日の国民新聞《こくみんしんぶん》に「瘠我慢の説を読む」と題《だい》する一篇の評論《ひょうろん》を掲《かか》げたり。これを一読するに惜《おし》むべし論者は幕末《ばくまつ》外交の真相《しんそう》を詳《つまびらか》にせざるがために、折角《せつかく》の評論も全く事実に適《てき》せずして徒《いたずら》に一篇の空文字《くうもんじ》を成《な》したるに過ぎず。
「勝伯《かつはく》が徳川方の大将となり官軍を迎《むか》え戦いたりとせよ、その結果《けっか》はいかなるべきぞ。人を殺《ころ》し財《ざい》を散《さん》ずるがごときは眼前の禍《わざわい》に過《す》ぎず。もしそれ真《しん》の禍は外国の干渉《かんしょう》にあり。これ勝伯の当時においてもっとも憂慮《ゆうりょ》したる点にして、吾人はこれを当時の記録《きろく》に徴《ちょう》して実《じつ》
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