にその憂慮の然《しか》るべき道理《どうり》を見るなり云々《うんぬん》。当時《とうじ》幕府の進歩派|小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》の輩《はい》のごときは仏蘭西《フランス》に結びその力を仮《か》りて以て幕府統一の政《まつりごと》をなさんと欲《ほっ》し、薩長《さっちょう》は英国に倚《よ》りてこれに抗《こう》し互《たがい》に掎角《きかく》の勢《いきおい》をなせり。而《しこう》して露国またその虚《きょ》に乗《じょう》ぜんとす。その危機《きき》実に一髪《いっぱつ》と謂《い》わざるべからず。若《も》し幕府にして戦端《せんたん》を開かば、その底止《ていし》するところ何《いずれ》の辺《へん》に在るべき。これ勝伯が一|身《しん》を以て万死《ばんし》の途に馳駆《ちく》し、その危局《ききょく》を拾収《しゅうしゅう》し、維新の大業を完成《かんせい》せしむるに余力を剰《あま》さざりし所以《ゆえん》にあらずや云々《うんぬん》」とは評論全篇の骨子《こっし》にして、論者がかかる推定《すいてい》より当時もっとも恐るべきの禍《わざわい》は外国の干渉《かんしょう》に在りとなし、東西|開戦《かいせん》せば日本国の存亡《そんぼう》も図《はか》るべからざるごとくに認め、以て勝氏の行為《こうい》を弁護《べんご》したるは、畢竟《ひっきょう》するに全く事実を知らざるに坐《ざ》するものなり。
 今|当時《とうじ》における外交の事情《じじょう》を述べんとするに当り、先《ま》ず小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》の人と為《な》りより説《と》かんに、小栗は家康公《いえやすこう》以来|有名《ゆうめい》なる家柄《いえがら》に生れ旗下《きか》中の鏘々《そうそう》たる武士にして幕末の事、すでに為《な》すべからざるを知るといえども、我《わ》が事《つか》うるところの存《そん》せん限《かぎ》りは一日も政府の任を尽《つ》くさざるべからずとて極力《きょくりょく》計画《けいかく》したるところ少なからず、そのもっとも力を致したるは勘定奉行《かんじょうぶぎょう》在職中《ざいしょくちゅう》にして一身を以て各方面に当《あた》り、彼《か》の横須賀造船所《よこすかぞうせんじょ》の設立《せつりつ》のごとき、この人の発意《はつい》に出《い》でたるものなり。
 小栗はかくのごとく自《みず》から内外の局《きょく》に当《あた》りて時の幕吏中《ばくりちゅう》にては割
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