えき》の一点にして、或《あるい》は商人のごときは兵乱《へいらん》のために兵器《へいき》を売付《うりつ》くるの道を得てひそかに喜《よろこ》びたるものありしならんといえども、その隙《すき》に乗《じょう》じて政治的|干渉《かんしょう》を試《こころ》みるなど企《くわだ》てたるものはあるべからず。右のごとく長州の騒動《そうどう》に対して痛痒《つうよう》相《あい》関《かん》せざりしに反し、官軍の東下に引続《ひきつづ》き奥羽の戦争《せんそう》に付き横浜外人中に一方ならぬ恐惶《きょうこう》を起したるその次第《しだい》は、中国辺にいかなる騒乱《そうらん》あるも、ただ農作《のうさく》を妨《さまた》ぐるのみにして、米の収穫《しゅうかく》如何《いかん》は貿易上に関係なしといえども、東北地方は我国の養蚕地《ようさんち》にして、もしもその地方が戦争のために荒《あ》らされて生糸の輸出《ゆしゅつ》断絶《だんぜつ》する時は、横浜の貿易に非常の影響《えいきょう》を蒙《こうむ》らざるを得ず、すなわち外人の恐惶《きょうこう》を催《もよお》したる所以《ゆえん》にして、彼等の利害上、内乱《ないらん》に干渉《かんしょう》してますますその騒動を大ならしむるがごとき思《おも》いも寄《よ》らず、ただ一日も平和回復《へいわかいふく》の早《はや》からんことを望みたるならんのみ。
また更《さ》らに一歩を進《すす》めて考《かんが》うれば、日本の内乱に際し外国|干渉《かんしょう》の憂《うれい》ありとせんには、王政維新《おうせいいしん》の後に至りてもまた機会《きかい》なきにあらず。その機会はすなわち明治十年の西南戦争《せいなんせんそう》なり。当時|薩兵《さっぺい》の勢《いきおい》、猛烈《もうれつ》なりしは幕末《ばくまつ》における長州の比《ひ》にあらず。政府はほとんど全国の兵を挙《あ》げ、加《くわ》うるに文明|精巧《せいこう》の兵器《へいき》を以てして尚《な》お容易《ようい》にこれを鎮圧《ちんあつ》するを得ず、攻城《こうじょう》野戦《やせん》凡《およ》そ八箇月、わずかに平定《へいてい》の功《こう》を奏《そう》したれども、戦争中国内の有様《ありさま》を察《さっ》すれば所在《しょざい》の不平士族《ふへいしぞく》は日夜、剣《けん》を撫《ぶ》して官軍の勢《いきおい》、利ならずと見るときは蹶起《けっき》直《ただち》に政府に抗《こう》せんと
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