ふよう》を問わず、乞《こ》わるるまま一々|調印《ちょういん》したるにぞ、小栗もほとんど当惑《とうわく》せりという。仏公使が幕府に対するの債権《さいけん》とはこれ等の代価《だいか》を指《さ》したる者なり。
 かかる次第《しだい》にして小栗等が仏人を延《ひ》いて種々|計画《けいかく》したるは事実《じじつ》なれども、その計画は造船所の設立、陸軍編制等の事にして、専《もっぱ》ら軍備《ぐんび》を整うるの目的《もくてき》に外ならず。すなわち明治政府において外国の金《かね》を借り、またその人を雇《やと》うて鉄道海軍の事を計画《けいかく》したると毫《ごう》も異《こと》なるところなし。小栗は幕末に生れたりといえども、その精神《せいしん》気魄《きはく》純然たる当年の三河武士《みかわぶし》なり。徳川の存《そん》する限りは一日にてもその事《つか》うるところに忠ならんことを勉《つと》め、鞠躬《きっきゅう》尽瘁《じんすい》、終《つい》に身を以てこれに殉《じゅん》じたるものなり。外国の力を仮《か》りて政府を保存《ほぞん》せんと謀《はか》りたりとの評《ひょう》の如《ごと》きは、決《けっ》して甘受《かんじゅ》せざるところならん。
 今|仮《か》りに一歩を譲《ゆず》り、幕末に際《さい》して外国《がいこく》干渉《かんしょう》の憂《うれい》ありしとせんか、その機会《きかい》は官軍《かんぐん》東下《とうか》、徳川|顛覆《てんぷく》の場合にあらずして、むしろ長州征伐《ちょうしゅうせいばつ》の時にありしならん。長州征伐は幕府|創立《そうりつ》以来の大騒動《だいそうどう》にして、前後数年の久《ひさ》しきにわたり目的《もくてき》を達するを得ず、徳川三百年の積威《せきい》はこれがために失墜《しっつい》し、大名中にもこれより幕命《ばくめい》を聞かざるものあるに至りし始末《しまつ》なれば、果《はた》して外国人に干渉《かんしょう》の意あらんにはこの機会《きかい》こそ逸《いっ》すべからざるはずなるに、然《しか》るに当時外人の挙動《きょどう》を見れば、別に異《こと》なりたる様子《ようす》もなく、長州|騒動《そうどう》の沙汰《さた》のごとき、一般にこれを馬耳東風《ばじとうふう》に付し去るの有様《ありさま》なりき。
 すなわち彼等は長州が勝《か》つも徳川が負《ま》くるも毫《ごう》も心に関《かん》せず、心に関するところはただ利益《り
前へ 次へ
全17ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石河 幹明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング