用《さいよう》を求めたる外国人ありしは、その頃の新聞紙《しんぶんし》に見えて世人の記憶《きおく》するところならん。当時或る洋学者の家などにはこの種の外国人が頻《しき》りに来訪《らいほう》して、前記のごとき計画《けいかく》を説き政府に取次《とりつぎ》を求めたるもの一にして足《た》らざりしかども、ただこれを聞流《ききなが》して取合《とりあ》わざりしという。もしもかかる事実《じじつ》を以て外国人に云々《しかじか》の企《くわだて》ありなど認むるものもあらんには大なる間違《まちがい》にして、干渉《かんしょう》の危険のごとき、いやしくも時の事情を知《し》るものの何人《なんぴと》も認めざりしところなり。
 されば王政維新《おうせいいしん》の後、新政府にては各国公使を大阪に召集《しょうしゅう》し政府|革命《かくめい》の事を告げて各国の承認《しょうにん》を求めたるに、素《もと》より異議《いぎ》あるべきにあらず、いずれも同意を表《ひょう》したる中に、仏国公使の答は徳川政府に対しては陸軍の編制《へんせい》その他の事に関し少なからざる債権《さいけん》あり、新政府にてこれを引受けらるることなれば、毛頭《もうとう》差支《さしつかえ》なしとてその挨拶《あいさつ》甚《はなは》だ淡泊《たんぱく》なりしという。仏国が殊《こと》に幕府を庇護《ひご》するの意なかりし一|証《しょう》として見るべし。
 ついでながら仏公使の云々《うんぬん》したる陸軍の事を記《しる》さんに、徳川の海軍は蘭人《らんじん》より伝習《でんしゅう》したれども、陸軍は仏人に依頼《いらい》し一切|仏式《ふっしき》を用いていわゆる三兵《さんぺい》なるものを組織《そしき》したり。これも小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》等の尽力《じんりょく》に出でたるものにて、例の財政《ざいせい》困難《こんなん》の場合とて費用の支出《ししゅつ》については当局者の苦心《くしん》尋常《じんじょう》ならざりしにもかかわらず、陸軍の隊長《たいちょう》等は仏国教師の言を聞《き》き、これも必要なり彼《か》れも入用なりとて兵器は勿論《もちろん》、被服《ひふく》帽子《ぼうし》の類に至るまで仏国品を取寄《とりよ》するの約束《やくそく》を結びながら、その都度《つど》小栗には謀《はか》らずして直《ただち》に老中《ろうじゅう》の調印《ちょういん》を求めたるに、老中等は事の要不要《よう
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