きにあらずというその次第《しだい》は、たとえば幕府にて始めに使節《しせつ》を米国に遣《つか》わしたるとき、彼の軍艦|咸臨丸《かんりんまる》に便乗《ぴんじょう》したるが、米国のカピテン・ブルックは帰国の後、たまたま南北戦争の起るに遇《あ》うて南軍に属し、一種の弾丸《だんがん》を発明《はつめい》しこれを使用してしばしば戦功を現《あら》わせしが、戦後その身の閑《かん》なるがために所謂《いわゆる》脾肉《ひにく》の嘆《たん》に堪《た》えず、折柄《おりから》渡来《とらい》したる日本人に対し、もしも日本政府にて余《よ》を雇入《やといい》れ彼《か》の若年寄《わかどしより》の屋敷《やしき》のごとき邸宅《ていたく》に居るを得せしめなば別《べつ》に金《かね》は望まず、日本に行《ゆき》て政府のために尽力《じんりょく》したしと真面目《まじめ》に語りたることあり。
また維新の際にも或《あ》る米人のごとき、もしも政府において五十万|弗《ドル》を支出《ししゅつ》せんには三|隻《せき》の船を造《つく》りこれに水雷を装置《そうち》して敵《てき》に当るべし、西国大名のごときこれを粉韲《ふんさい》[#ルビの「ふんさい」は底本では「ふんせい」]する容易《ようい》のみとて頻《しき》りに勧説《かんせつ》したるものあり。蓋《けだ》し当時南北戦争|漸《ようや》く止《や》み、その戦争《せんそう》に従事したる壮年《そうねん》血気《けっき》の輩《はい》は無聊《ぶりょう》に苦しみたる折柄《おりから》なれば、米人には自《おのず》からこの種《しゅ》の輩《はい》多《おお》かりしといえども、或《あるい》はその他の外国人にも同様《どうよう》の者ありしならん。この輩のごときは、かかる多事紛雑《たじふんざつ》の際に何か一《ひ》と仕事《しごと》して恰《あたか》も一杯の酒を贏《か》ち得《う》れば自《みず》からこれを愉快《ゆかい》とするものにして、ただ当人|銘々《めいめい》の好事心《こうずしん》より出でたるに過ぎず。五十万円[#「円」に「ママ」の注記]を以て三隻の水雷船《すいらいせん》を造り、以て敵を鏖《みなごろし》にすべしなど真に一|場《じょう》の戯言《ぎげん》に似《に》たれども、何《いず》れの時代にもかくのごとき奇談《きだん》は珍らしからず。
現に日清戦争《にっしんせんそう》の時にも、種々の計《はかりごと》を献《けん》じて支那政府の採
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