、更《さ》らに浜御殿《はまごてん》を占領《せんりょう》して此処《ここ》より大城に向て砲火《ほうか》を開き、江戸市街を焼打《やきうち》にすべし云々《うんぬん》とて、その戦略《せんりゃく》さえ公言《こうげん》して憚《はば》からざるは、以て虚喝《きょかつ》に外ならざるを知るべし。
 されば米国人などは、一個人の殺害《さつがい》せられたるために三十五万|弗《ドル》の金額を要求するごとき不法《ふほう》の沙汰《さた》は未《いま》だかつて聞かざるところなり、砲撃《ほうげき》云々《うんぬん》は全く虚喝《きょかつ》に過《す》ぎざれば断じてその要求を拒絶《きょぜつ》すべし、たといこれを拒絶《きょぜつ》するも真実《しんじつ》国と国との開戦《かいせん》に至《いた》らざるは請合《うけあ》いなりとて頻《しき》りに拒絶論《きょぜつろん》を唱《とな》えたれども、幕府の当局者は彼の権幕《けんまく》に恐怖《きょうふ》して直《ただち》に償金《しょうきん》を払《はら》い渡《わた》したり。
 この時、更《さ》らに奇怪《きかい》なりしは仏国公使の挙動《きょどう》にして本来《ほんらい》その事件には全く関係《かんけい》なきにかかわらず、公然書面を政府に差出《さしいだ》し、政府もし英国の要求を聞入《ききい》れざるにおいては仏国は英と同盟して直《ただち》に開戦《かいせん》に及《およ》ぶべしと迫《せま》りたるがごとき、孰《いずれ》も公使一個の考《かんがえ》にして決して本国政府の命令《めいれい》に出でたるものと見るべからず。
 彼《か》の下ノ関|砲撃事件《ほうげきじけん》のごときも、各公使が臨機《りんき》の計《はから》いにして、深き考ありしに非ず。現《げん》に後日、彼の砲撃に与《あずか》りたる或《あ》る米国士官の実話《じつわ》に、彼の時は他国の軍艦が行《ゆ》かんとするゆえ強《し》いて同行したるまでにて、恰《あたか》も銃猟《じゅうりょう》にても誘《さそ》われたる積《つも》りなりしと語りたることあり。以てその事情を知るべし。
 右のごとき始末《しまつ》にして、外国政府が日本の内乱に乗《じょう》じ兵力《へいりょく》を用いて大《おおい》に干渉《かんしょう》を試みんとするの意志《いし》を懐《いだ》きたるなど到底《とうてい》思《おも》いも寄らざるところなれども、当時《とうじ》外国人にも自《おのず》から種々の説を唱《とな》えたるものな
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