よらなかつた。
やがて大粒の雨が四邊の樹の葉を打つてポツリポツリ降つて來た。つゞいて二閃三閃の雷光と共に大地を叩くやうな雷鳴がした。そしてものの一丁と歩かないうちに、大粒の雨は黒い棒のやうになつて一分の隙間もなく降り注いで來た。土の香がそこらに漂つた。
雨の「ワー」といふ音は、尖り切つた由藏の神経をかなり柔らげた。けれどその雨音は少しの高低もない平らな音であるだけ、やがて何の物音もない世界と同じ世界に返した。
親爺が棺の中からぬつと腕を差し延べて、咽喉の辺りを撫でるやうな氣が幾度もした。その度に彼は、うなじから咽喉に流れる雨を平手で拭つた。
と、後から骨ばかりの親爺がひよろひよろついて來るやうな氣がして來た。ぴたりぴたりといふ跫音が堪らなく氣になつた。彼は振り向いて見る勇氣は無論なかつた。先へ走ることも出來なかつた。やうやくその跫音は自分の草履の音だとわかつたとき彼は草履を捨てた。
地の底を歩いてゐるのか、黒雲の中を泳いでゐるのか解らないやうな氣持ちがしばらくつゞいた。背負つてゐる棺も、もう重いのか軽いのか解らなかつた。
雨は黒い棒の束となつて注いだ。それを絶ち切るやうに雷
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