がし》がいふことが戯言《たはむれごと》であらうぞや。戯れごととはお許等《もとら》のいふことぢや。いとし、恋しも口の先、腹の内には舌出いて、いやさ(唄。)
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千たび百《もも》たびおしやるとも、なるまじものをうつつなの其方《そなた》や、われに主《ぬし》ある、思ひとまれよ。
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などと、はは、南蛮寺の玄関で、誰やらがよい歌唄うておぢやつたわ。
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白萩 あれまた人をなぶるわいなあ。
伊留満喜三郎 (再び門扉に倚りたるが、突然声高に)波羅葦増《はらいそ》ぢや、波羅葦増ぢや。
第三の人 真か、まことか。
伊留満喜三郎 じええずす[#「じええずす」に傍点]、まりや[#「まりや」に傍点]。波羅葦増雲《はらいそう》。波羅葦増雲。
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門内の楽声更に壮《さか》んになる。忽ち下手に人声。やがて嚮の老いたる男大なる槌《かけや》もちて出づ。
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老いたる男 此方にもする術《すべ》があるのぢや。
菊枝 やれやれ、爺《おやぢ》さま。久しう待たしておぢやつたなあ。
老いたる男 されば皆の者よ。そこ退《のき》やれ。そこ退きやれ。やい、危いわえ。(門内楽声|息《や》む。老いたる男、携へ来れる大槌を挙げて烈しく門扉をうつ。)――はら、やいの、おう。はら、やいの、おう。(人々怪しき驚愕の声出しつつ眺む。老いたる男少時槌の手を休めて、人々を顧みながら)皆の衆は、などて、さは黙《もだ》しておぢやるぞや。念仏申さぬか。念仏申さぬか。――(再び槌を取りあげ)南無|帝釈《たいしやく》四天王、五道|冥官《みやうくわん》、日本伊勢大神宮、八幡大菩薩、春日大明神其他|氏神《うぢがみ》、南無阿弥陀仏。はら、やいの、おう、南無阿弥陀仏。はら、やいの、おう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。――(汗を流し、いたく労《つか》れたる様に手を休めつつ)や。さても堅い扉ぢやわい。
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    *     *     *     *
下手より五六の学僧(学頭、所化《しよけ》長順、所化乗円其他)登場。何れも黒き衣、黒き頭巾。又長き杖を持つ。但し先頭の所化乗円は『妙法院』と記されたる提灯を持ちたり。提灯には燈ともさる。群ぬち漸《やや》にさはがし。
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学頭 やよ、人々、何とてさは雑言致すぞ。
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さはぎ次第に高まる。
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学頭 何とてさは雑言致すぞと申すにな。
第一の所化 所化長順が気が狂うてござる。
学頭 何とな?
第一の所化 所化長順が気が狂うてござる。
長順 否とよ。ふつつに狂ひなどは致さぬ。
第一の所化 (長順に)御宗門を疑ふが、狂はいで何としようぞ。
長順 ふつつに狂ひなどは致さぬ。
第一の所化 その証拠《あかし》が立つか。
長順 立たいでか。わが申開《まをしひらき》はこのやうぢや。(長順腕より数珠を外し、地上に抛ちて足もて踏む。)
第一の所化 咄《とつ》。仕おつたな。(皆々呆れ怒るこなし)
乗円 (憂はしげに、長順に向ひ)御宗門を足蹴《あしげ》に致いたな。
長順 足蹴は愚か、矢を向け申すわ。
第一の所化 やい。よくもほざいたな。はは、御宗門に弓引くと申すからは必定新たなる見証《けんしよう》が付いたであらうな。
長順 見証なんどとは事をかしや。釈迦牟尼《せいきやぼち》は畢竟《ひつきやう》愚人、苦労性なる摩訶陀の王子、天台智者は大法螺吹《おほぼらふき》、まつた伝教は山師の支店《でみせ》。
第一の所化 黙り召され!
長順 何とて黙らうぞ。仏陀の教は嘘八百、人を欺《だま》いて可惜《あたら》しき若き命をむざむざと枯木の如く朽《く》ちさす教……(やうやう夢幻的になり)某《それがし》在家の折柄は蝴蝶は花に舞ひ戯れ、鳥が歌へばわが心、君の心もうち和《なご》み(小唄の節になりて)花の降る夕暮は、思へど思はぬ振りをして、喃《なう》、思ひやせに痩せ候ひしが……(再び我に返りたるが如く)教観《けうくわん》二門が何の真諦《しんたい》、三観十乗が何の悟道《さとり》。某《それがし》山に入りてより、四年四月《よとせよつき》は日夜撓まず勤行《ごんぎやう》苦行、ひたすらに頓漸《とんぜん》秘密の理を追へども……(また咏嘆の調にて)かの日の幸に比べむ幸なく、わが美《よ》き人に似る神も……
乗円 長順真に正気でか※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
長順 正気で無うて何としようぞ。
第一の所化 聞きしにまさる長順が乱心。今は堪忍の時ならず。(杖もて長順を打たむとす。乗円之をかばふ。)
乗円 ま、ま、待つて下されい。之は長順の正気では御座りませぬ。必定《ひつぢやう》悪魔|波旬《はじゆん》の仕業《しわざ》。……(忽ち南蛮寺の門に気付きて)あれ、此処は邪法の窟宅《くつたく》、南蛮寺の門前なるよな。さてこそ必定邪法の手練《てれん》……
長順 ……あれ唄が聞こえるわ。いとしい人が呼ぶさうな……
乗円 (憂はしげに)長順、長順。其方はまた迷うたさうな。修行が足りぬぞよ、修行が足りぬぞよ。
長順 乗円、其方もわが心はえ汲《く》むまいな。(心弱く乗円の腕にもたれる。)
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忽ち南蛮寺の前にてけたたましき響す。沙門の一行門前なる群集に近づく。
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老いたる男 (再び大槌もて門扉をうつ。)はて、さて怪《け》しい扉ぢや。え、まだかや。まだかや。うん、や、ほい。南無阿弥陀仏。はら、やいの、おう。南無阿弥陀仏。え、まだかや。まだかや。はら、やいの、おう。南無阿弥陀仏。
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老いたる男、最後の一撃をなさむとする所に、忽ち眩暈《めくるめ》き倒れ、槌は手を離れて地上に落つ。
門内楽声(たとへば独逸国リヒヤルト、ストラウスがツアラツストラの曲の末段の如き)嵐の如く高まる。
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菊枝 (うち驚きて)や。これは。爺《おやぢ》さまいのう。
伊留満喜三郎 (菊枝を遮《さへぎ》り)見やれ、こりや神罰ぢや。南蛮寺の罰ぢや。
菊枝 何と、それは真かいなあ。
伊留満喜三郎 大神でいゆす[#「でいゆす」に傍点]の威力の恐ろしさを、遅かりしな、今覚りしか。素《もと》より不信の極悪人《ごくあくびと》、此儘に打ち捨て置き、風来犬《ふうらいいぬ》にな食す可きなれど、今日は異例の情をもて、聖《さんた》まりや[#「まりや」に傍点]に祈りを上げ蘇生《よみがへ》らして呉れむずらむ。(老いたる男の傍に進み寄り口に呪文を唱ふ。老いたる男目ざむ。)
伊留満喜三郎 何と、老耄《おいぼれ》、正気に帰つたか。
老いたる男 (いぶかしげに四下《あたり》を見廻はす貌)ここは何処《いづこ》ぢや、何処ぢや。
伊留満喜三郎 ここは四条の真ン中ぢや。南蛮寺の門前ぢや。
老いたる男 (驚き逃げ去らむとして)何ぢや。南蛮寺の門前ぢやてや。
伊留満喜三郎 こや、逃げ無いでも可いわ。心を落付けいやい。某誠心を籠めて大神に祈りたれば汝が罪は許されたり。――(衆に向ひ)貴き御堂の門扉を撃ち天主の威霊を汚す罪によりて、思ふだにも恐ろしき彼の暗黒のいんへるの[#「いんへるの」に傍点]、解けば即ち焦熱地獄のその底に落ちゆく可き所なるを、でいゆす[#「でいゆす」に傍点]の御教《みをしへ》この国に入りてより、未だ間《ま》もなき事なれば、無智|盲昧《まうまい》[#「盲昧」はママ]の蒼民《たみくさ》の疑ひ怪しむそれ故に、心にもなき大罪に陥らむを憐み、某《それがし》祈念を凝《こら》したれば彼の罪も許されたのぢや。皆々有り難き御恵の御礼申上げたが可《よ》からうぞ。――さんた[#「さんた」に傍点]、まりや[#「まりや」に傍点]。さんた[#「さんた」に傍点]、まりや[#「まりや」に傍点]。波羅葦増雲善主麿《はらいそうぜんしゆまろ》。
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皆々さんたまりや[#「さんたまりや」に傍点]、じええずす[#「じええずす」に傍点]、まりや[#「まりや」に傍点]などよぶ。
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うかれ男 やあれ、やあれ。そこな痴人《しれびと》、知らぬ為《まね》して聞いてあれば片腹いたい妄言綺語《まうごんきご》。
伊留満喜三郎 何、妄言綺語とな。雑言も程こそあれ、世にも恐ろしき神の威霊の近き験《しるし》を今見ざるか。かかる賤しき油売の姿にわが身を扮《や》つしてあれば、貴き言葉《ことば》も疑はるるなれ――(伊留満喜三郎俄に油売の服装を脱ぎて緑の地に金糸の縁飾をとりたる邪宗門僧侶の職服にかはる。右手に高く金色の十字架像を翳《かざ》す。)今までは包みこそ居《ゐ》れ、何か隠さむ。われこそ真は大神でいゆす[#「でいゆす」に傍点]が僕《しもべ》、伊留満《いるまん》あんとにゆす[#「あんとにゆす」に傍点]でおぢやるぞ。
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人々たじろぐ。或は『じええずす、まりや』などよぶ。
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伊留満喜三郎 それわが神でいゆす[#「でいゆす」に傍点]は天地六合の唯一神、宇宙万象の能造の主、天地空寂のうちに万象を造り、かるが故に日月星宿光を放つて、明歴々として東湧西没の時を違へず、地には千木万草あつて、飛鳥落葉の期を誤たず。百万の烝民《じようみん》善《よ》くこの神を拝するときは死後生を波羅葦増雲の楽園に享《う》く。然るに、耳目あれども此神を知らず、猥《みだ》りに神徳を害《そこな》ふものは、即ちいんへるの[#「いんへるの」に傍点]の苦淵に沈む。抑《そもそ》も波羅葦増の国と申すは、四時花咲き、鳥歌ひ、果実|季《とき》なく実り、生あれども死なく、明あれども暗なく、悔なく、迷なく、苦なく、禍なく、白象鰐魚《びやくざうがくぎよ》も人に戯れ、河水甘露の味を宿して、白檀蘆薈《びやくだんろくわい》のかをり園に満ちたり。失《う》せにしものは此《ここ》に見出《みだ》され、求むるものは此《ここ》に備はり、家|兵燹《へいせん》に焼かるる憂なく、愛する夫《つま》を戦場に死せしめず、和楽の和雅音《わげおん》大空に棚引いたり。如何に人々、今こそ波羅葦増雲近づけり。時に遅るな、祈を上げよ。おおらつしよ[#「おおらつしよ」に傍点]、おおらつしよ[#「おおらつしよ」に傍点]。さんたまりや[#「さんたまりや」に傍点]。死後|生天《しやうてん》波羅葦増雲善主麿。
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人々或は之に和す。門内には法悦信楽《ほふえつしんげう》の妙音楽《めうおんがく》(中世の宗教楽)。所化乗円提灯を翳して伊留満に迫る。
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乗円 伊留満あんとにゆす[#「あんとにゆす」に傍点]と申すは其方《そなた》か。
伊留満喜三郎 如何にも伊留満あんとにゆす[#「あんとにゆす」に傍点]は此方《このはう》ぢや。
乗円 咄、此|老狐《らうこ》、猥《みだ》りに愚民を誑《たぶ》らかし居るな。
伊留満喜三郎 何とて人を誑らかさうや。
乗円 然らば借問《しやもん》す。でいゆす[#「でいゆす」に傍点]天地を造りしとは真か。
伊留満喜三郎 説くにや及ぶ。
乗円 さらば其でいゆす[#「でいゆす」に傍点]をば誰が造りしぞ。
伊留満喜三郎 でいゆす[#「でいゆす」に傍点]こそは天地の唯一神《ゆゐいつしん》。誰も造りしものはおぢやらぬ。
乗円 は、は、でいゆす[#「でいゆす」に傍点]を造りしものが無うて、でいゆす[#「でいゆす」に傍点]能《よ》く天地万象を造りしとな。然らばでいゆす[#「でいゆす」に傍点]は即ち五塵《ごぢん》の塊《くわい》、五蘊《ごうん》の泉、憎愛簡択《ぞうあいかんたく》の源とこそ見ゆれ。
伊留
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