南蛮寺門前
木下杢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所化《しよけ》

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(例)年|少《わか》き姉妹の

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(例)※[#「王+(「毒」のあしが「母」)」、第3水準1−88−16]
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 登場人物
童子、順礼等        舞妓白萩
千代            伊留満喜三郎
常丸            学頭
菊枝            所化《しよけ》長順
老いたる男及び行人二三   所化乗円、其他学僧
うかれ男          老いたる侍


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永禄末年のこと。但風俗は必しも史実に拠《よ》らず、却つて今人の眼に親うするものとす。秋の日、暮がた。後景は京都四条坊なる南蛮寺《なんばんじ》の高き石垣。そが中ほどよりやや上手に寄りて門。その扉開かれてあり。門内の広場に木立、そを透きて仄《ほの》かに堂見ゆ。門前の街道に童子等集る。
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童子等。(唄。)
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夕やけ小やけ。
摩訶陀《まかだ》の池の
さんしよの魚は
きらきら光る。
玻璃《びいどろ》のふらすこ
ちんたの酒は
きらきら光る。
鐘が鳴る。鐘がなる。
寺の御堂《みだう》の
十字の金《かね》は
きらきら光る。
年|少《わか》き姉妹の順礼|御詠歌《ごえいか》うたひながら下手より登場。姉なるは盲目《めしひ》なり。
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姉の順礼 (程よき所に立留り、もの怪しむ気はひ。)何やら怪《あや》しい音がするがのう。この近くに海でもあるかいのう。
妹の順礼 何の、姉《んね》や。京の都には海があるもんかの。
姉の順礼 そんなら河の音か。そや無けりや風かいのう。わしや滅相《めつさう》草臥《くたぶ》れた。今日の宿はまだかいなあ。
妹の順礼 そやつて姉《んね》や。嚮《さき》からまだ一里とも来やせぬわ。
姉の順礼 何処ぞで歌うたふ声が聞えるやうやのう。
妹の順礼 姉や。此処《ここ》は立派な寺やんどの。何様ぢや知らぬけれども拝んで行かうよ。
姉の順礼 さうかいな。お寺ならば善う拝んで行かうのう。
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姉妹門内を覗ひつつ、
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妹の順礼 何ていふお寺やろ。遠くに、遠くに立派な本堂さまが見えるわかいよ[#「わかいよ」はママ]。
姉の順礼 ああ、わしも一目見たいのう。
妹の順礼 や。姉や。烏が。烏が。姉や。はれ烏があんなに来たよ。――お日様がもうお隠れやるかいな。――西の天が赤なつた。はれ、血のやうに赤なつたわ。姉や。烏が仰山《ぎやうさん》来た。寺の屋根へ留《とま》つたは。はれ屋根が青うく光つてきた。海のやうに光つて来たわ。
姉の順礼 何ていふお寺かいなあ。
妹の順礼 これ。そこな児《こ》よ。この御寺《みでら》は何といふ寺かいの。
第一の童子 (蔑《さげす》むがごとき貌にて。)名など知らぬわ。
妹の順礼 和子《わこ》は知らぬかいな。
第二の童子 おらも知らぬわ。ははははは。
妹の順礼 ほほ、此土地に棲《す》んで居やるのに、名も知らぬとは賢い子等やの。
第一の童子 此|御寺《おてら》の名を知るものは京中にはおぢやらぬわ。たつて知りたくば中の伴天連《ばてれん》に聞いて来やれ。ははははは。
妹の順礼 我等《わがら》は他国のものやほどに教へてくれいのう。
第一の童子 このお寺は唯のお寺ではあらない。
妹の順礼 唯のお寺や無いとて、坊様が住むお寺やろがな。
第一の童子 その坊様は真《まこと》の人間ではあらない。
妹の順礼 ほほ、真の人間で無いのやら、そんなら天狗《てんぐ》様かいのう。
第一の童子 いやいや、天狗《てんぐ》様でもあらない。もつと怪《け》しいものぢや。
妹の順礼 分つた。そんなら、そりや狸やろが。
第一の童子 狸でもおぢやらぬわい。
妹の順礼 お時どのよ。もう早《はや》う行かうよ。わしも奈何《どう》やら気味わるうなつて来た。
第一の童子 この寺の方丈様《はうぢやうさま》は、おらはまだ見ないが、皆《みんな》のいふて居ることにや、髪の毛が鼠の毛で、手の爪が熊の爪ぢや。
第二の童子 それで身の丈が一丈をも超えて、手の甲に鱗《こけら》が生えておぢやるさうぢや。
第一の童子 其くせ声は鳩のやうで、ぐはう、ぐはう、ぐはう、ぐはうと啼く稀有《けぶ》な方丈様ぢゃ。
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日かげ傾く。南蛮寺の鐘鳴りはじむ。
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第一の童子 あれ鐘がなる。鐘がなる。皆《みんな》早う去《い》のうよ。――お主達《ぬしだち》も早う去《い》なないと、見よ、今に南蛮寺の門に食はれるぞよ。恐いぞ、恐いぞ。昨日《きのふ》も一昨日《をととひ》も人が食はれたさうぢや。皆、去なうよ。去なうよ。
妹の順礼 お時どのよ。我等《わがら》も早う行かうよ。
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皆々退場。暫く素舞台。遠くにて再び夕やけの唄。
    *     *     *     *
千代(年わかき母)、その子常丸下手より物語りつつ登場。
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常丸 そんなら、その黒い魚は何処《どこ》に棲んでゐるのぢやえ。
千代 人の心《しん》の臓の中に居るのぢや。
常丸 それが奈何《どう》して外へ出るのぢやらうな。
千代 その黒い魚には羽が生《は》えて、鳥よりも速う、空へ飛んでゆくといふことぢや。
常丸 それから奈何するのぢやえ。
千代 河ぢやろが、山ぢやろが、海ぢやろが、日輪ぢやろが、何処へでも飛んでゆくのぢや。その魚が空を蔽へば、日も曇つて、天《そら》の森に赤児が泣く。
常丸 空に奈何して赤児が泣くのぢやえ。
千代 遠《とほ》いい、遠いい、父様《ととさま》や、ばば様、ぢぢ様の国にまゐりたいといふて泣く。
常丸 父《とと》さまの国にえ?――母様《かかさま》、父様の国は空天竺《そらてんぢく》におぢやるのかいなあ。
千代 空の、空の、大空の、夜摩《やま》の国といふところに、ぢぢ様も、父様も、また死んだ其方《そなた》の妹も、みんな仲よう暮《くら》いておぢやると、最勝寺様が申された。
常丸 かか様。何といふ国ぢやつたかな。
千代 かか様も善《よ》うは知らぬが、夜摩の国とか申された。
常丸 その夜摩の国に私《わし》も行きたいわいな。
千代 あれ滅相な、滅相なこと。その国にはな、五つの眼ある恐ろしい犬が居て、小さい子供には行かれぬ所ぢや。
常丸 (歩み渋りながら。)私《わし》や其国に行きたいわいな。
千代 こや、常丸。そのやうに聞きわけ無《な》うては、もはや何処《いづく》へも連れてゆかぬぞや。あれ、入日にも間近いさうな。急いで参りませう。
常丸 その五つの眼の犬とは、どのやうに恐ろしいものぢやえ。
千代 まあさ、其の話は後《あと》で詳《くはし》うするさかいに、早うまゐりませう。
常丸 母様今日のお会式《ゑしき》は面白うおぢやつたのう。私《わし》やあのやうに面白うおぢやつたのは、生れてから今日が始めてぢや。私《わし》やまだ見ておぢやりたかつたのに。私《わし》や家《うち》へ帰るはいやぢや。
千代 まあ、此子としたことが――そのやうな事いふものは、あの恐ろしい犬めが拉《さら》つてゆきますぞや。家ではばば様が待つておぢやらう程に、早う参らうわいな。
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母なる人の友、菊枝、上手より来りてこの母子《おやこ》に摩《す》れちがひ、
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菊枝 はれ、待ちやれいのう。お前は千代さまぢやおぢやらぬかいな。
千代 あれ、これは菊枝さまさうな。異《い》な所でお遇ひました。
菊枝 お前は何処《どこ》からのお帰りぢや。
千代 今日は最勝寺さまの御会式ぢやさかいに、死んだ娘と、この子の父御《ててご》の供養《くやう》しておぢやつた。郷《さと》の母様《かかさま》が強《きつ》う止めるゆゑ、竟《つい》遅うなつて、只今帰るところぢや。してお前は何処からぢやえ。
菊枝 さて其事ぢや。妾《わらは》はな、近ごろ大《いか》い苦労をしておぢやつた。それ、お前も存じよりの黒谷の加門様の妹娘のことぢやが、あの娘が気がふれてな。
千代 はれ、まあ。
菊枝 ぎざぎざ針を植ゑたる金具もて、われとわが胸を十字に掻《か》い傷つけ……
千代 はれ、まあ。
菊枝 その揚句には親達も、男子《おとな》、女子《をなご》も見さかい無う切り付くるのぢや……
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    *     *     *     *
二人の女の会話のうちに、常丸、母の傍より離れて南蛮寺の門に近づき、つくづくと内を覗う。やがて小さき常丸の声にて、
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常丸 ほんまかえ。ほんまかえ。ほんまに嘘ではあらないと云ふのぢやな。……何ぢや。もつと、もつと、もつと面白い所ぢやてや。いやいや夫《そ》れは嘘ぢやらうわ。私《わし》が今日見た地獄の機関《からくり》より、もつと面白いものは唐《から》天竺にも決しておぢやらぬわ。……何、秋でも冬でも牡丹の花が咲いておぢやるてや。え。われら父上も、……あの可愛《かは》いい妹も生きておぢやるてや。……ま白い象も棲んでおぢやるてや。嘘ぢや。……何、ほんまぢや? そんなら起請か、懸《かけ》もするてや、好《よ》し、天も地も照覧あれ、指かけ小かけ、嘘云ふものは手の指腐され、好し、そんなら入《い》つて見よう。嘘ぢややら、指十本腐るぞよ。……(常丸門内に入る。二人の女未だ気付かず。)
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    *     *     *     *
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千代 まあ、ほんまに夫れは怪《けし》いことぢや。今年は何やら可厭《いや》な年ぢや。出来秋ぢや、出来秋ぢやと云うて米は不作。
菊枝 加旃《それに》また加茂川の大水《おほみづ》。――妾《わらは》が隣の祖母様《ばばさま》は、きつい朝起きぢやが、この三月《みつき》ヶ程は、毎朝毎朝、一番鶏も啼かぬ間《あひだ》に怪《けし》い鳥の啼声を空に聞くといふし、また人の噂では、先頃《さきごろ》摂津住吉の地震《なゐ》強く、社の松が数多く折れ倒れたといふこと……。
千代 ほんまに気味わろいことぢやのう。あれ、また話で時を費《つぶ》いた。妾は今日は急ぐほどに、之で御免蒙りませう。お前も精々|体《からだ》を大事にしや。命あっての物種ぢやのう。さらばまたの日に会ひませう。
菊枝 それなら祖母様にも宜《よろ》しう云うて下され。
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二人相別る。菊枝は下手より退場。忽《たちま》ち千代けたたましく、
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千代 はれ、まあ、常丸。常丸。……はて、常丸としたことが、やよ、常丸。常丸。――(ふらふらと門に歩み寄り、内を覗ひながら。)はて悪いことを致いた。ここが南蛮寺の門ぢやとは、つひぞ気付かいでおぢやつたが……さてはこの門めが、中に引込んだと見ゆるよ……。
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千代、逡巡《ためら》ひながら二三歩門内に進み入り、『常丸、常丸』と呼ばう。答なし。憂はしげに、再び門外に出づ。
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千代 四辺《あたり》には人も見えぬ。はて奈何したものでおぢやらうな。中に入るのも後《うしろ》めたし……。
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思付きたるさまに、急ぎ内より離れ来り、往来に立ち止まり、下手の方を呼ばう。
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千代 おおい、おおい。先
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