り、後景なる寺の石垣|模糊《もこ》として遠く退き、人々の形も朦朧として定かならず。楽音の旋律更に激越想壮[#「想壮」はママ]の度を加へ、之に諧和せざる梵音はた三絃の声も、囂々《がうがう》として亦その中に雑《ま》じる。
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乗円 遠離一切顛倒夢想《ゑんりいつさいてんだうむさう》。
伊留満喜三郎 ろうだつと[#「ろうだつと」に傍点]、どみのむ[#「どみのむ」に傍点]、おむねす[#「おむねす」に傍点]、でんと[#「でんと」に傍点]。
乗円 究竟涅槃《くきやうねはん》。
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忽ち所化長順群より離れ、舞台の中央に来り、舞妓白萩にすれ違ひ、
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長順 ふつ、其方《そなた》は……
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白萩袖を翳して退く。これより長順は白萩を追ひ之にからむ。うかれ男その間に入りて之を妨ぐる仕草。この三人の間に往々また伊留満の姿現はる。右手に高く金十字架を捧ぐ。金の十字架煌々と光る。沙門等は下手の方《かた》、程よき所に立ち並ぶ。楽声、沙門、伊留満等の祈祷唱讃の声、諸人の驚き叫ぶ声、紛々囂々ととだえとだえにひびらぐ。
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長順 ふつ。其方はお鶴どのではござらぬか。
白萩 さういふお前は源さまか。
長順 あな、珍らしや、お鶴どの其方は健《まめ》でおぢやつたか。
白萩 あれなつかしや源さま。
長順 最早其方はこの世にはおりないものと思ひあきらめ……
白萩 怨めしや源さま。
うかれ男 やよ白萩、時が遅うなるわ、早やう罷《まか》らうと申すにな。
長順 (回想に耽るが如く夢幻的に、)彼《か》の時其方は全盛の歌ひ女《め》、殊に但馬守殿が執着のおもひ者、われは貧しき沙門の小忰《こせがれ》、どうせ儘ならぬ二人の中、思ふが迷《まよひ》と人にもいはれ、
白萩 お前はあむまり独合点《ひとりがてん》……
長順 え、ままよ、さうなりや人をも殺し、われも死に、無間《むげん》地獄に落ちば落ちと、暗夜《やみよ》の辻にもさまよひしが……
白萩 源さまお前もあむまりな、などて一言その事をわたしに明してくれなんだ……
長順 思へば女一人のために、身を殺さむは、さすが世間の手前、人の思はくも恥かしく、此世ながらの梵涅槃《ぼんねはん》、桑門《さうもん》の道に入りもしたれ、そなたと分れて四年《よとせ》の間……
白萩 わたしや夜昼泣いて泣いて……
うかれ男 早う去なうと申すにな。
白萩 あれ諄《くど》い衆ぢや。帰りたくば一人で行なしやんせいなあ。
長順 始めは山の金鼓《きんこ》の音、梵音楽《ぼんのんがく》を珍らしみ、勤行唱讃に耽りしが……
白萩 そんならお前は、私《わし》のことはうち忘れてか……
長順 止観の窓を押し開き、四教の奥に尋ね入れば、無明《むみやう》の流れは法相の大円鏡智と変りはすれ……
白萩 ……はれ。
長順 幼き時ゆこがれたる、ほの珍らかにいと甘き、いとあえかにもなつかしき『不可思議』の目見《まみ》は我胸より全《まつた》く消えうせ、遺《のこ》れるは氷の如き空《くう》の影。――(演説の調にて)法相|真如《しんによ》といふと雖《いへど》も之れ仏陀乃至伝教等沙門の頭を写したる幻の塔、夢の伽藍、どうせ人の頭より出たるほどのもの故、学んで悟られぬ筈はおりない。悟といふは益《やく》ない徒労。わが望むところは彼の『不可思議』、解けがたき命の謎、一たび捨てにたる無明煩悩ぢや。天台乃至伝教はわが胸中のこの宝を盗みたる、いはば物取強盗ぢや。宗門を蹴らいで何としようぞ。
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所化等 (遠くの方にて)羯諦《ぎやあてい》、羯諦、波羅羯諦《はらぎやあてい》、波羅僧羯諦《はらそうぎやあてい》。
伊留満喜三郎 (前方に立ち現はれ)おらつしよ[#「おらつしよ」に傍点]、おらつしよ[#「おらつしよ」に傍点]。ぐろりや[#「ぐろりや」に傍点]、はとり[#「はとり」に傍点]、えひりおゑぬ[#「えひりおゑぬ」に傍点]、ぴりてゆい[#「ぴりてゆい」に傍点]、さんくと[#「さんくと」に傍点]。
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忽ち門内沈痛悲壮なるゐおろんちえろ[#「ゐおろんちえろ」に傍点]のそろ[#「そろ」に傍点]。
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長順 (舞踊の間に黒き法衣を脱ぎ華美なる姿となる)あれ、南蛮寺の中に奇《く》しき響きがしておぢやるわ。(奥よりゆきて)あの響ぢや、あの響
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