男 (故更に厳粛の貌を装ひ)や、それこそは邪法の内秘、吉利支丹《きりしたん》宗門の真言《しんごん》、軽々《かろがろ》しうは教へられぬ。したが白萩よく聞きや。お許《もと》の怨《ゑん》じはまこと心底の胸から出やるか、乃至《ないし》は唇の面《おもて》からか。いやさ、それを告げいでは、ちやくと教へられぬわい。
白萩 知らぬ、知らぬ、教へなうてもよいわいな。
うかれ男 はてさて、之《これ》は剛《きつ》い返答。――(忽ち側を向き大声)こりや!
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嚮《さき》よりこの一群に、着きつ、離れつ随ひ来れる油売、実は伊留満《いるまん》喜三郎、油桶は持たで、青き頭巾かぶれる。叱咤せられ、袖|翳《かざ》してすさる。
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うかれ男 はて怪《いぶ》かしい男共《をのこども》ぢや。
白萩 あの男なら、とうから我等の後に随《つ》いて参りました。気味わろいことぢやわいな。
うかれ男 何の、措《お》け、措け。
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忽ち寺の内に遠波《とほなみ》のごとき、奇しき妙音楽起る。(羅曼的《ろまんちつしゆ》なる西洋管絃楽)、さきに行き去らむとせし人々も踵を返す。
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第一の人 何ぢや、賑かな楽声《がくじやう》ぢや。
第二の人 寺の中に何かおぢやるさうな。
第一の人 何ぞ珍らしい異宗の祭典と見えるよな。些《ち》と覗《のぞ》いて見たいものぢや。
第二の人 なれども門は閉されたり。はて、如何《いかが》致いてか内を見る工夫はおぢやるまいかな。
伊留満喜三郎 (突然門扉の内に屈《かが》みて)やいの、やいの、皆《みな》の衆よ。ここの門の扉《とびら》に細い隙がおぢやつたぞや。はれ、見られい。や、何とまあ美しい絵ぢや。唐、天竺は愚か、羅馬《ろおま》、以譜利亜《いげりや》にも見られぬ図ぢや。桜に善う似た麗《うるは》しい花の樹《こ》の間に、はれ白象が並んでおぢやるわ。若い女子等が青い瓶から甘露《かんろ》を酌《く》んでおぢやるわ。赤い坊様《ぼんさま》ぢや。噴泉《ふきあげ》からさらさらと黄金が流るる。真昼のやうに日が照るわ。はれ、見られい、見られい。翼《はね》の生えた可愛い稚子《ちご》が舞ひながらおぢやつたわ。はれ、皆が一斉に祈を上げておぢやるわ。
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楽声快活に、敬虔に、やがて急激に、やや誘惑的に、更にまた憂鬱に。
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菊枝 して、して、……あの千代どのもおぢやるかいな。
伊留満喜三郎 千代殿とは何ぢや。何処の人ぢや。
菊枝 まだ二十五とはならぬ女子ぢや。なれども二人の母人《ははびと》ぢや。その妹の子はこの春死んでおぢやつたのぢや。
伊留満喜三郎 おぢやるわ。おぢやるは。それもおぢやるわ。
菊枝 倅《せがれ》の常丸どのもおぢやるかいのう。
伊留満喜三郎 おぢやるとも、おぢやるとも、皆《みんな》おぢやるわ。
菊枝 はれ。お祭を見ておぢやるかいのう。何とまあおとましい人々ぢや。此方《こなた》は強《きつ》う案じておぢやつたのになあ。
伊留満喜三郎 いや、皆はもう神さまになつて、美しい翼が生えておぢやるのぢや。はれ、美《うるは》しい行列ぢや。歌唄うておぢやるわ。
菊枝 何と戯《たは》けた事をいふ人ぢや。妾は嚮《さき》から、真《まこと》か、真かと聞いておぢやつたのに。おとましいことぢや。
伊留満喜三郎 はれ黒い尼達が来ておぢやつた。日が曇つた……。
うかれ男 やい。油売奴《あぶらうりめ》。そこ退《の》きやれ。――や、や、如何にも此処に細い隙間があるわ。やれ、やれ、某《それがし》も一つ覗いて呉れむず。
白萩 見えたかいなあ。何ぞ見えたかいなあ。
うかれ男 善う見える。善う見える。はれ、偽《いつはり》の底が善う見える。
白萩 ほんまに何が見えるぞいなあ。
うかれ男 南蛮寺の台所が善う見えるわい。聞きや。はれ。や、何とも云へぬ名香《みやうがう》のかをり、身も心も消ゆるやうぢや。四方には華の瓔珞《やうらく》、金銀、錦の幡天蓋《はたてんがい》、※[#「王+(「毒」のあしが「母」)」、第3水準1−88−16]瑁《たいまい》の障子、水晶の簾《みす》。まつたそが中の御厨子《みづし》の本尊、妖娟《たをやか》なる天女の姿、匂ひやかなる雪の肌、消《け》たば消ちなむ目見《まみ》の霞……造りも造りたる偽の御堂よな。(門扉の隙より目を離し、唄ふがごとき調子にて)さて、偽りとは知りながら悟られぬのがそれ何やらの道。喃《なう》[#ルビの「なう」は底本では「のう」]、白萩小女郎、昔の人は秀句《しうく》吐《は》くな。
白萩 あれまたいやらしい戯《たはむ》れごと。
うかれ男 何で某《それ
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