聲に少しも注意を拂はぬらしく、下界の一方を眺めてゐる。
この少年の少しく破壞的な行動を除いては、また此小ぢんまりとした家の中にも、曇りの日の柔かな緑の庭と同じやうな平和が漲《みなぎ》つてゐると、誰しも思ふのである。
然し少年の胸には異常の不安があつた。彼はやや青白い美しい顏色に沈鬱の影を見せて、偏《ひと》へに下界の一方を見つめてゐる。
停車場に汽車が着いたところである。
鋭い汽笛が一聲靜かな午後の空氣を振動せしめた。
少時《しばらく》あつて、各種の風俗をした乘客が三々伍々、停車場の構外へ現はれ出た。それらは少年の二階の屋根から一々手に取るやうに見える。
それらの人々を注目するのが、少年の今の最重要任務であるかの如く見えた。時々心をはつとさせながら、彼は一々の人を注意してゐる。
五分經つ……十分經つ……そして少年は緊張した心持から覺め何物をも發見しなかつたといふ安心から、多少氣が緩《ゆる》んだやうに歎息をした。そしてまた始めの沈鬱な顏のままで、默つて二階の屋根から降りて、自分の書齋になつて居る二階の六疊に入つた。
二階からは、高い立木と少し隔つた隣家の屋根との爲めに、近
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