差すことがあるよ。僕は喫驚して、も少しで欄干から手を放すとこだつた。」
「一萬圓賭けたら、下へ飛び込む人があるだらうか。」
「一萬圓だつて有りやしない。」
「有るかも知れないよ。」
「いくら一萬圓だつて、死んぢや貰ふことは出來ないぢやないかね。」
「然し一萬圓貰はなくても、飛び込む人があるからね。」
「そりや別だ、厭世家だから。」
「然しどんな氣持だらう。」
「分りやしない。」
「僕には分るやうな氣がする。久しく下を見てゐると、飛び込みたい氣になるよ。」
「君は氣違だから。」
「僕はもとから屡《よく》人に氣違だと言はれたことがあるよ。」
「そんな人は危險人物だ。」
「その代りに何かで決心が付きや、僕はきつとこの處へ飛び込むね。それが國家の爲になるとか、人を救ふとかいふことになれば。」
「君には犠牲的精神があるといふのだらう。」
「別にそんな事を高慢にするのぢやない。」
「然し考へると本當になるつて言ふよ。」
「美だと思ふ、僕は。こんな處から下へ落ちて死んだら、肺病や何かで死ぬよりも好いぜ。」
「馬鹿だなあ、暑いや、早く行かう。」
「見給へ、水の底がまつ青に見えるよ。水の精でも棲んでゐる
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