とに神經を惱ましながら、それでも何もしないで家にぐづぐづしてゐたが、或る一日、今日はどうしても一伍一什を、せめて母にだけでも話してしまはうと考へながら、到頭その日も話すことが出來なかつた爲めに、非常に煩悶した。
そして家から逃げ出さうと空想した。
やはり海岸で陸地が崖に成つて居る處があつた。道路はその崖の上で、若し過《あやま》てば海に落ちるやうなこともあるから、所々には針金を通じた木柵を建ててあつた。崖から下を覗くと數丈の赤松が繁つて其間に碧漫々たる海が見える。時とすると、水が靜かなところから、夕方などに船が懸つてゐることがある。正に一幅|豪宕《がうたう》の畫圖である。或はまた西洋人の女だちが、わざわざ短艇をここまで出して、人目を避けて遊泳をすることもある。さうすると人は遠眼鏡でそつと海面を眺めて喜んだりした。
午後の四時ごろの烈々たる日光は、草の緑、土の紫、海の碧、凡てありとあらゆるものをまつ黄色にして、地球を孵化させようといふ勢である。そこへ二人の少年が山の方から下つて來た。
二人は道と道との間を、海の上へ懸け渡した小橋の上に來かかつたが、突然一人が言つた。
「隨分ここか
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