出さうになる。
「こつちの學校に居た間は伜も大分成績が良かつたやうだが、どうも東京へ出てから去年も今年も思はしくない。尤も東京は諸國から秀才が集るのだて。鳥なき里の蝙蝠《かうもり》位では役に立たないかも知れないが……」さう言つてちよつと考へて、「まあ友だちと文學をやるのが、是が一番行かない事だらうと思ふ。わしが東京へ出て監督してやれば可いのだが、さう云ふわけにも行かないのだて……まあ何分にも君方等に頼みます。」
 父のこんな言葉が鹿田に對しては皮肉になるだらうと、富之助は思つた。
 到頭その晩は鹿田が富之助の家に宿ることになつた。もう姉のおつなが二人の床を一つ部屋に取つて、蚊帳を吊つてしまつた。
 母が「あなたは今日はお勞《つか》れでせうからもうお休みなさい。」と言つた。
 富之助は夜床へ入つてからも早くは寢つかれぬ性であつた。それで蚊帳の中で本を讀むのが癖であつた。そんな風な自由が今夜は阻害されるであらうと思つて不快になつた。それ故に初め鹿田だけの床を敷いてくれと頼んだが、何も知らない姉はそれを承知しなかつた。
 若しやそんなことはあるまいと思ひながら、富之助の頭には或る不祥な想像が
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