へてゐた。
富之助のおつ母さんが出て來て、柔和に富之助をたしなめ、そして客に丁寧に其子の我儘を謝した。そんな事をしなくつとも可いのにと腹の中では思ひながら富之助は默つてゐる。
もう庭に蟲が鳴き出したりしてゐる。そこへ夕飯の仕度が運ばれた。姉が一生懸命にはたらいたと見えて常には拵へないやうな料理が澤山出來てゐた。富之助は自身の姉を不憫《ふびん》に思つた。何にも知らない故に自分に害意を有してゐる人の爲めに、あつたらの骨折をする。さう思ふと自分の男らしくないことが腹立しくなつた。何故自分は何もかも悉皆《すつかり》姉に言つてしまはないだらう。姉は今危地に居る。それを知つてゐる自分が親身の姉を救ふことが出來ない。若しその事を言へば自分に不信の友があることが分る、それが分れば自分が何よりも大事にしてゐる祕密が曝露する。富之助は殆ど食慾がなく、いろいろの事を思ひ煩ひながら、唯器械的に手を動かす。その傍で姉は給仕をしてゐるのである。ちやうど心の清い尼さんが僧形《そうぎやう》をした貪婪《どんらん》の惡魔の前にゐるかと思はれるのである。
夕飯が終つてから富之助は鹿田を連れてしぶしぶ散歩に出た。まづ河
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