。大きな井戸があつてその向ふが臺所になつてゐるらしい。年頃の娘が向うむきになつて井戸端にとばんでゐる。
青年が玄關に立つた。そして「御免下さい。」と云つた。返事がなかつた。もう一度言つた。すると白い髯《ひげ》の生えた老人が玄關に出て來た。青年は少し意外に感じて、はつとしたらしい態度を示した。そして一禮した。
老人は何とも言はないで少時《しばし》玄關に立つたままでゐる。是れも、どうも事が意想の外であると思ふらしい風である。富之助が今日來る友達と云ふ人は彼より遙かに年上であると語つた。然しその男をまだ見ない老人は、それでも富之助の同輩だと思つてゐた。それが今見るともう大人らしい青年である。さう思つて老人が青年を見詰めてゐる時に、青年が言つた。「土屋富之助さんのお宅はこちらでございますか。」
老人もこの時既に他の事へ心をはたらかしてゐた。そして言つた。「あなたは何の――その、鹿田さんですか。まあお上り。富之助も居ます。――まあこつちにお上り。」さう言つて置いて老人は別の部屋へと去つた。誰かに物を命じてゐるやうである。
然し其後に玄關へ來たのはやはり件《くだん》の老人で、青年を案内して
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