、かの大河と海との大爭鬪よりもむしろこの方が活動の印象に富んで居て、そしてこの平和の町に一味の生氣を賦《ふ》して居るのである。
遠海《とほうみ》も、大河も、町の家並も、汽車も、凡て八月のこの曇つた一日を平和に送つてゐるらしく見えた。
所が停車場からさう遠くない小高い所に一軒のしもた屋があつた。まだ年の少い一人の男の子が時々その屋根の上に登つてゐた。誰も然しこの少年に特別の注意をするものとてはなかつた。と云ふのは今日朝から始終その少年の行動を注視したものは誰もなかつたからである。もしさうしたならばその人には多少不思議な感じを起したかも知れない。何故となるとこの少年はたつた一度屋根へ登つたのではないからである。午前の十時ごろにも登つた。正午にも登つた。そして二時過ぎにも登つたのである。更に注意深い人はこの時刻が全く偶然的のものではないと云ふことに氣が付く筈であつた。といふのはその時刻こそは、東京からの汽車がこの町の停車場に着く時であつたからである。即ちこの少年はこの町に着く汽車に對して何等かの利害を感じてゐたのである。それが單に遠くから段々と近《ちかづ》いて來る汽車の運動を眺めるだけの
前へ
次へ
全49ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング