がらこの自然現象は、毎日毎日同樣に繰り返へされてゐるのだからして、町の住民には今更何等の印象をも與へない。靜かな曇り日に、數千の甍《いらか》が遠く相並んでゐて、その間に往々神社佛閣の更に大きなものが聳え出てゐるのを瞰望してゐると、如何にも平和であるといふ氣が起つて來る。かの荒い海の背景がこの平和の印象を少しも壞さないのは寧ろ不思議である。それといふのも畢竟《ひつきやう》慣れといふことが感激を銷磨《せうま》するからであらう。たとへ宗教心のない人でも、かう云ふ平和の俯瞰景を眺めたら、何かに祈りたいといふ氣を起すに相違ない。
 この平和な都會は然し全く休息して居るのではない。外海《そとうみ》の暴《あら》い怒號の外に、なほ町自身の膊動《はくどう》がある。何かと云ふとそれはかの平地を驅けつて來る汽車である。
 忽ち長大の一物が山の鼻のところへ形を現はす。忽ち警戒の汽笛を鳴らす。傍目《わきめ》もふらずかたことと驅けて來るのを見ると、器械力と云ふよりも一動物の運動といふ感じがするのである。忽ち停車場に達する。笛を鳴らす。停車する。人々が停車場の構内から出る。かういふ活動が往復合せて一日に十四囘あるが
前へ 次へ
全49ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング