へた。頭がくわつとなつたが、それが治まらないで、輕い頭痛と變つて、蟀谷《こめかみ》が痛んだ。時計が五十分に近《ちかづ》いた。刻々にその刻秒の音が聞えるほどあたりは靜かである。時々七面鳥が物に驚いたかのやうに啼いた。
 突然に富之助は二階の隅の机の上に腕を當てた。ちやうど泣くやうな姿勢をしてその腕に顏を埋めた。
「僕は死んであやまる。」さう小さな聲で言つた。
 少時《しばらく》して富之助が下に降りて來た時には、珍らしくも父が、内の人の居間になつてゐる八疊に居た。姉と妹も居、母も床から起きて來てそこに居た。富之助は父の顏を見ると、何か隱れてゐる事を發見せられはしまいかといふ心を起した。そしてずつと其部屋を通り拔けて、臺所の方へ行つて顏を洗つた。
 白い大きな瀬戸引の金盥に水を入れて、成るべくゆつくりゆつくり顏を洗つた。皆と會ふ時間を一刻でも延ばさうとするのである。さうすると父も或は座を離れるやうなことがあるかも知れないと思つたからである。
 然し富之助が八疊に來た時には父はまだそこに居た。今日はいつになく温和な顏をして居たが、それでも富之助には不安であつた。
 今まで富之助の父に對する不安
前へ 次へ
全49ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング