ゥ何かむくむくと繁つた常緑の樹があつて、それに夏からの風鈴が雨に濡れたままに弔《つる》されて居た事を記憶してゐる。ここは兩側の家、今の倉庫を除けば河に面した兩側には主に玻璃障子を立てた家が並んでゐる。それに小さい欄干の附いた出窓が張り出て、松や萬年青《おもと》や檜などの盆栽が置かれてある。赤い更紗の風呂敷(これは今は東京ではめつたに見られない、風呂敷として染めて重に赤地へ黒と白との模樣があるもの)それから襁褓《おむつ》といふものが軒下に干されてある……といふやうな錯雜した景色の後ろに――大阪風の棟數《むねかず》の多いごたごたした屋根の群の上に遙に聳やぎ立つ物干《ものほし》が見える。物干には幾聯となき手拭がひらしやらと風に搖れてゐる。今川橋でも同じ樣なものが見られた。而も三代目かの廣重の繪にも取られてある所を見ると、昔の鳴海《なるみ》の宿の鳴海《なるみ》絞りを懸け弔す店と同じく、少し繪心のある人の心を惹くものと見える。
 堀は東京より水が綺麗だ。材木の舟|筏《いかだ》、肥料桶の舟などが悠々として櫂で橋下を漕ぎ拔けてゆく。橋の上でスケツチなどは到底出來ない。大阪の橋は皆西洋工學以前の代物と
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