ト。)
昨日は大阪へ來て一日暮した。それまでは毎日雨で芥舟學畫篇だの沈氏畫塵だのを讀ませられて大分支那情調になつて居た所を、昨日一日で全く洗ひ落して仕舞つた。その日の午前中はそこのあらゆる賑かな通り、河岸、橋梁等の光景を見て歩いた。予は都會の形態的標準は橋梁に存すると思ふ。京町から平野橋、それから今迄の道に直角に歩いて思案橋、博物館、農人町、住吉町の通りから道頓堀に出て、それから中の島まで引返した。大阪の河岸の印象は東京とは大分違ふやうだ。ちよつと話した丈ではこの細《こまか》い官能的印象の相違は傳へられない。
大阪の河岸は夏は黄ろい羽目板と簾《すだれ》とで持ち切つて居るのであるが、それでも、たとへば尼ヶ崎橋から上下を見通した所のやうに白壁の土藏も少くは無い。東京のやうに煉瓦は多くない。白壁には小さい窓が二つ乃至四つ五つ附いて居て、それが多少暗示的な何物かを持つてゐる。白壁にはよく酒の銘が塗り上げられてある。屡《よく》見るのは福翁、白鶴、金霞、○○正宗、それに波に日の出の朝日ビール。
尼ヶ崎橋に立つて不圖《ふと》東京の今川橋に居るやうな氣になつた。あの橋の手前の河岸縁の家にまさき
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