m#二の字点、1−2−22]はポプラスの繁り、それからそれらの凡てに亙つてゐる金屬的灰色の空氣の調子である。街上の美人と稱す可き人相《フイジオノミイ》にも出くはさない。立派な店を張つてゐる家の主人や番頭の顏もまだ都會化せられて居ないで、獰《あら》い植民地的の相貌を呈して居る。看板の東京風とか江戸自慢とかいふ形容詞がいかにも田舍臭くて不愉快である。
東京ことば、大阪、京都、伊勢、中國邊の方言の雜ぜ合せにドス、オマス、ナアなどといふ語尾を附けると略《ほぼ》神戸の言葉に近くなる。
奇事奇談《キユリオジテ》といふやうなものにもあまり出遇はなかつた。ただ昨日神戸兵庫間の電車の試運轉があつて榮町は人立がしてそれを眺め入つた。神戸などは高い異人館があつていかにもハイカラらしいが、かういふ光景を見ると、明治初年の清親、國輝などの名所繪を見るやうで馬鹿馬鹿しくてならぬ。
昨夕《ゆうべ》も近所の湯にいつたら電車の噂で持ち切りであつた。汽車には踏切番といふものがあるが電車にはそれが無いから、子供等には危險だと一人の男がいふと、番臺の女房が「ほんにさうどすな」と相槌を打つてゐた。(三月三十一日朝、神戸に
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