オ凡ての平俗を嫌つて珍奇を求める Degas の非情なる觀察眼が今の此國にも許されるならば、この種の畫題はむしろ町の生活に於て取られた方が面白からうと思はずには居られなかつたのである。纖弱《かよわ》い肩胛骨《あふぎぼね》は彫刻にも效果《エツフエエ》のある者である。更に温く曇つた水蒸氣の中に「白の調和」は一層善く、色彩畫家《コロリスト》のカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スに向くと思ふ。清長の珍らしい浴泉圖は二枚あつて、その一枚がドガアの手に入つてゐると云ふ事は上田柳村先生の「渦卷」で承知してめづらしい事と思つた。(三月二十九日神戸にて。)

 二十九日、三十日、雨。三十日の午過ぎに始めて空が霽れて來たから人と神戸市中を見物したが一向つまらなかつた。横濱にはまだ所々予の所謂「異人館情調」が殘つて居るけれども、神戸にはそれすら一向に無い。市中所見の物象は鉛直に非ざれば水平、水平に非ざれば四十五度六十度角で人の目の前に迫つて居る。近く見える西洋館から遠くの船舶の檣、港の起重機、棧橋上の鐵道荷車、各種の煙突、正午報知臺等が皆それである。色彩の方では煉瓦、屋根の瓦、ペンキ塗の羽目板、偶※
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