フ所で「京都の豫感」を、實は味はうと思つたのだが、生憎京都のスケツチはみんな板彫の方に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて居たので見る事が出來なかつた。僕等は決して自然の景情を絶對的な自分の眼といふもので見る事が出來ないのだ。餘程其時代を支配してゐる大家に便つて居るのだ。たとへば春さき灰緑に芽ぐんで來る佃《つくだ》島の河沿の河原の草などを見る時分には、どうしても黒田さんの樣風《マニエエル》を想ひ出さずには居られない。東京の自然界で黒田さんと廣重との配調《アランジマン》を味ふのを、京都で祐信と中澤にしようと思つたのだが、中澤さん情調を吹きかけられることの出來なかつたのは遺憾であつた。
 其代り氏の温泉スケツチの類集《セリイ》は見る事が出來た。温泉といふものは官能的にも固《もと》より愉快なものだが、更に繪畫の標準に換算しても亦面白いものでなければならぬ。白い裸體と紫色に澄んだ泉の表面とを主調とした色彩畫派的《コロリスチツク》の色彩諧調は思ひ出した丈でも食欲をそそる。
 氏は油で浴泉圖をかくのだと云つて居られた。丹前風呂とか羅馬の浴場とか云ふものは、蓋し爛熟せる文明の窮極である。然
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