ゥえて、鐵の欄干の橋でさへ、一の車、一の馬力が來る毎に氣味の惡い程ぐらぐらと搖れるのである。
京屋町から平野橋に行く例の狹い賑かな通りの、或古本屋の表に浮世繪の廣告が出て居たからはひつて冷かして見た。多分飜刻物であるが、中の一枚の春信(のであつたか)の行水を使つて居る女の肉附《モルピベツス》は素敵であつた。後に衝立を立ててそれに着物が懸けてある。その前で例の春信型の線の細い輪郭の、例の顏容《フイジオノミイ》の女が盥《たらひ》で湯を使つてゐるのであるが、その線は寫實的であつたから不快ではなかつたが、ロダンやマネの素描の知的な冷たさに代へて、柔かく、唯單に肉體の輪郭を仕切るといふ必要以外の艶冶《あだぽさ》を見せようという作意の爲めに、全體がやや浮世繪的官能的になつたのはやむを得ない。
外に歌麿や湖龍齋の板畫があつたがつまらなかつた。皆《みんな》十年許り前の獨逸行の飜刻物であるやうだつた。ああいふ繪はそれで澤山だのに、それでもなほ原物を求めたがるのは、希有《ラアルテ》を崇ぶといふ外に何かわけの有る事だらう。――江戸の浮世繪は現に大阪に於ては東京に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪を
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