ノ次いでは是等の風俗畫が大に予の心を喜ばしめる。如何なる時代でも平民の生活及びその藝術化ほど予の心を惹くものはない。
 大谷光瑞師の寄贈にかかるといふ、支那トルキスタン庫車内トングスバス發掘の塑像佛頭といふ土の首は予の心臟を破らむほどに美しかつた。(四月三日朝京都にて。)

 今、人と四條橋畔のレストオランに居る。都踊の始まるまでの時間を消す爲めに、一つには自ら動く勞なくして、向ふで動いて呉れる京都を觀る爲である。
 中には始めから二人の西洋人が居た。直ちに獨逸人であるといふ事のわかる重い發音で會話してゐる。それからその連れらしいのが二人來た。
 この背景としての窓の下の四條橋下の河原では、例のコバルト色に見える人の群が、ずらりと並べ干された友禪ムスリンを取込むのに忙殺せられて居る。
 面《おもて》の平でない玻璃《ガラス》の爲めに、水|淺葱《あさぎ》に金茶の模樣が陽炎を透かしての如くきらきらといかにも氣持よく見える。一列の布の上に、遙かに黒き、其輪郭は廣重的に正しい梅村(?)橋が横はつて居る。草はもう不愉快に日本的に黄ばんでるが、その側に、明紫灰色の小石の上に干された黄や紫や淺葱の模樣
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