少女等は眞に京都的の 〔Ele'ments〕 である。而も其布局が昔の繪卷物の風俗畫を思はしめ、その思付が謠曲によくある物語の風(たとへば道成寺の前のシテの白拍子の後のシテなる――事實上は時間的に以前の――蛇を暗示するといふが如き)で直接歴史的風俗畫を避けて尚或情趣を添へるといふ點で更に意味あるものとしたのである。而も其純繪畫的觀相がまだ西洋臭いといふ對照があの繪をまた一層面白くしたのだと思ふ。
今の京都の生活から、然し一枚の風俗畫を作り出さうとする場合には西洋人は缺く可からざる一要素であるといはねばならぬ。横濱神戸はさる事ながら、京都と異人とは、今はもう切つても切れない中となつたのである。
三十三間堂の暗い中に數多き金色の觀音が立ち並んでゐる。天井の大きい燈籠がそこに定かならぬ光明の輪を畫いてゐる。『人皇は七十七代後白河天皇御建立、……千一體のうちに三萬三千三百三十三體の觀音樣が拜まれます』……と唄ふ案内の小僧のねむたい曲節《メロデイ》の中にも、色斑らな女異人の一行があまり似付かはしくもなく見えるのである。
博物館で鎌倉から信長の時代へかけての色々の縁起物の繪卷物を見た。浮世繪
前へ
次へ
全32ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング