Sらず家は狹く汚く、主人も粗服だと云ふ事を賞讚したことである。東京では隨分大きい仲買所でも仕拂を多少づつ遲れさす、即ちそれ丈人の金を融通しておくのである。大阪に至つては厘錢の微もきちんきちんと始末し盡くすと云ふ事である。若し東京の人が大阪へ出て商賣するやうな時には極めて正直にしなければならぬ。少しでもずるい事があつたなら、その點には鷹のやうに鋭い眼を持つて居る大阪人は直ぐ觀破して決して相手にしない。而もさう云ふ事にかけての團體力は支那人のやうに強いからどうにもならないと云ふやうな事を語つてをつた。
「あれですからねえ」と前の棧敷に指さして、「御覽なさい。かう云ふ所へもああやつて家から瓶《びん》に入れて酒を持つて來るんです。そして火を取つて自分で暖めて飮むんです。貴方、あの座蒲團なんぞも風呂敷へ入れて家から運んで來たんですよ。」と云つた。
予は、大阪の演藝類の見物の廉價であると云ふ事を以て之に應じた。現に文樂などでも、後ろの方は十二錢出せば一日聽いて居られるのである。又劇場には東京の如く一幕見といふものが無く、東京の大入場にあたる所がその代り十錢か十五錢である。
「大阪人はまた實にのん
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