ト抱かせたと云ふ事は事實である。眉毛の長い七十の翁の温藉なあの表情はそれまでの長い間の藝術的生活が刻んだものだと思ふ毎に一種のサンチマンタアルな情操の動くのを感ずるのであつた。この際予が爲した二つの首のスケツチは幸ひに隣席の客の賞讚を買ひ得た。
 予の隣の桝《ます》は東京の客だつた。一人は五十に近い、町家の主婦らしく、道徳的な而もやや意氣な顏付をしている女であつた。予はその人から大阪見物の感想を聞くことを得たが、大阪へ來ると自分はもう隱居しようと云ふ氣は全く無くなつて、人は死ぬまで働かなければならないと思ふやうになると云つて居たには妙な感じを抱かさせられた。意外な、處にも似付かはぬ、いやに道徳的な感想であるが、その連れの三十過ぎの同じく商人體の男がその註解をしてくれたので會得する事ができた。東京から大阪へ來ると東京の商業はまるで子供の惡戲《いたづら》だと云ふやうな氣がするといふ事から説き起して、大阪の人の時を愛《を》しみ、金を崇ぶ事を語り、(不幸にして折角の名を逸したが)或大阪の(恐らく日本一だらうと云はれてゐる)一老株屋の店の印象を語つた。予の今覺えて居る處は、そんな大きい店なのにも
前へ 次へ
全32ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング