謔、と云ふ欲望から、一刻も休まず歩き、出來るだけ興行物と云ふやうなものを覗いてみた。播重といふ寄席も、嘗つて君に話を聞いた事もあつたから一時間許り入つて見た。表の看板には「全國女太夫、修業發表機關」といふ今樣の云ひまはしの大文字が書き付けられてあつた。まだ顏の輪郭も固らない、世の中の事も碌に知らない十四五から十七八の女が、複雜な淨瑠璃の文句、またその内の藝術化せられた情緒情熱に關して深い理會のあるのでもなく、――差し迫つた何等かの藝とは全く別の必要からして――それでも愁嘆場の文句なんぞは多少の自覺した表情と、及び發聲の困難からの苦面《グリマツス》とで、同じく調子の合はぬ絃に伴はれて齒を剥き目をつぶるのを見るのは眞に可憐である。而して同時にこの生理的誇張が聽衆の特殊の興味《アンテレエ》を惹起すると云ふ事を知ると世の中の機關《からくり》に對して頗る樂天的な觀相を抱かしめられるのである。
然し|首の習作《エテユド・デ・テエト》のモデルとして見る場合には又別種の面白味がある。ロダンの「|泣く女《ラ・プレエレエズ》」のやうな表情は罕《まれ》ならず遭遇する所である。若し夫れ皮肉なるドガアの畫題を
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