ナも、束京の淺草、京都の京極其他などに見られない一種の面白味がある。生活が手輕で實用的なのだ。たとへばその街區の數多き飮食店の如きも大阪見物の他郷人よりも同じ町の人の氣散じに便利に出來て居るやうに見える。且東京とは違つて遊樂の街區が略一箇所に集中してゐるからして、この市の鳥瞰は東京のやうに散漫でなくつて、一つの有機體《オルガニズム》としての大阪市の形態及び生理を味はしめる。
燈が點いてから千日前の雜沓を、旅人の――他郷人の心持でなくこの市《まち》の一市民としての親しみを以て歩く事が出來た。そしてここの雜沓と、この褻雜《せつざつ》なる興行物がどんな必要《ネセシテ》を持つて居るかと云ふ事を知る事が出來た。
汚い戲場と視官を刺すやうな色斑らな看板繪――大阪にはまだ淺草のやうに安いペンキ繪は入《はひ》つて居ない――三味線、太鼓及びクラリオネツト、かくて春日座の「兵營の夢」、第一大阪館の「河内次郎」、榮座の「住吉踊、稻荷山」、日本館の活動寫眞、常盤座の「忠臣藏宣傳」、女義太夫竹本春廣、其他釣魚、落語の類が人間の需要の反射として更に行人を誘惑して居るのである。
短い時間で成る可く廣く大阪を見
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