奄ケられて居る所であつた。
それからそこを出て復大阪の市街を歩いた。大阪|通《つう》の君が一緒に居たら、更に、視感以上の大阪に侵入することが出來て愉快であつたらう。
大阪にはうち見る所一種類の階級しかない。と云ふと餘り誇張に流れるが、兎に角ここが町人の町であるとは普通の意味で云ふ事が出來る。だからして此町の店頭に浮世繪が似付かはしく、義太夫が今も尚此市の情緒生活に intime になるのだと思ふ。電車などに乘つても乘合は角帶の商人で無ければ、背廣の會社員である。人の話に、官吏なども大阪へ來ると往々商賣人に化《かは》つてしまふと云ふ事である。
京都を歩いて居ると無用のものが多く、だだ廣《ぴろ》くて直《ぢ》きに可厭《いや》になるが、大阪に至つては街區のどの一角を仕切り取つても活溌な生活《ラ・ヰイ》の斷片を掴む事が出來るやうに感ぜられる。京都は――恰もそこの藝子《げいこ》舞子《まひこ》のやうに――偏へに他郷人の爲めに市《まち》の計《けい》を爲してゐるやうに見えるが、大阪は、また其一見不愛想な商人の如く、他《ひと》には構はないでひたすら自家の爲に働いて居るのである。だから千日前でも道頓堀
前へ
次へ
全32ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング