人《ひと》に逢《あ》はふとは思《おも》ひませんわ。私《わたし》はたゞそつと自分《じぶん》が前《まへ》に殘《のこ》した足跡《あしあと》を、車《くるま》の幌《ほろ》の間《あひだ》からでも見《み》てくれゝばいゝんですもの。それでも、私《わたし》、どんなに悲《かな》しいことだらうと思《おも》ひますわ。[#「ますわ。」は底本では「ますわ」]只《たゞ》ね、そう考《かんが》へるだけでも、涙《なみだ》が出《で》そうなんですもの[#「ですもの」は底本では「でずもの」]。藻岩山《さうがんざん》が紫色《しゝよく》になつて見《み》えるだらうと思《おも》ひますの、いま頃《ころ》はね、そして落葉松《からまつ》の葉《は》が黄色《きいろ》くなつて、もう落《お》ちかけてる時《とき》ですわね。私《わたし》あの、藻岩山《さうがんざん》に三|度《ど》も登《のぼ》つたことがあるんですわ。』
まち子《こ》は、目《め》の前《まへ》に、すべての景色《けしき》が見《み》えでもするかのやうに、一|心《しん》になつて涙《なみだ》ぐみながら云《い》ふのであつた。すると、末男《すゑを》も、おなじやうに、
『俺《おれ》だつて、誰《た》れにも逢
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング