あれば、時《とき》の中《うち》にこうして生活《せいくわつ》してゐるといふことも、不思議《ふしぎ》になる。本當《ほんたう》に考《かんが》へて見《み》れば、一寸《ちよつと》した機會《チヤンス》、また一|秒間《びやうかん》の時《とき》の爲《た》めに、未來《みらい》のどんな運命《うんめい》が湧《わ》き出《で》ないともかぎらないのだ。
 私《わたし》が病氣《びやうき》して海岸《かいがん》に行《ゆ》かなかつたならば海岸《かいがん》に行《い》つて宿《やど》の窓《まど》から、海《うみ》の方《はう》を見《み》てゐなかつたならば――、彼女《かれ》は末男《すゑを》と夫婦《ふうふ》にならずに、見《み》ず知《し》らずの人《ひと》として終《をは》[#ルビの「をは」は底本では「をほ」]つたかもしれない。最《もつと》も親《した》しい人《ひと》となるといふことも、見《み》ず知《し》らずの人として終《をは》ることも、大《たい》した變化《かはり》がないのだ、と思《おも》ふと、まち子《こ》はなんとなく、すべてがつまらないやうな氣《き》がして來《く》るのであつた。
『もしも、その頃《ころ》二人《ふたり》が教會《けうくわい》に知
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