自分《じぶん》の心《こゝろ》を思出《おもひだ》したのであつた。[#「あつた。」は底本では「あつた」]まち子《こ》の足《あし》は、十六の終《をは》り頃《ころ》から人《ひと》なみに座《すは》ることが出來《でき》なかつた。なんといふ病《やまひ》やらも知《し》らない、度々《たび/″\》病院《びやうゐん》に通《かよ》つたけれども、いつも、おなじやうな漠然《ばくぜん》としたことばかり云《い》はれて居《ゐ》る。身體《からだ》が弱《よは》い爲《た》めだから營養《えいやう》をよくすること、足《あし》の膝關節《しつくわんせつ》が痛《いた》かつたら罨法《あんはふ》をするといふ事《こと》であつた。彼女《かれ》は別《べつ》に身體《からだ》の元氣《げんき》はかはらなかつたので、學校《がくかう》に通《かよ》つて歸《かへ》つて來《く》ると一人《ひとり》で罨法《あんはふ》をした。別《べつ》に特別《とくべつ》痛《いた》むわけでもなく外面《ぐわいめん》からも右足《うそく》の膝關節《しつくわんせつ》は、なんの異常《いじやう》もなかつたのであるけれども、自由《じいう》に曲折《きよくせつ》が出來《でき》ない爲《た》めに、學校《がくかう》では作法《さはふ》と體操《たいさう》を休《やす》まなければならなかつた。
 けれどもまち子《こ》は必《かなら》ずしも癒《なを》らないとは思《おも》はなかつた。そしてどうかして早《はや》くなほしたいといつも考《かんが》へてた。そして自分《じぶん》の部屋《へや》に入《はひ》ると、古《ふる》びた青《あを》いビロードの椅子《いす》に腰《こし》をおろして、その膝《ひざ》をもんだり、痛《いた》さをこらへて少《すこ》しでも折《を》り曲《ま》げやうとしたり、または罨法《あんはふ》してそつとのばしたり等《など》した。そしてまち子《こ》は自分《じぶん》が何《なん》の爲《た》めに、いつとも知《し》れずこんな足《あし》になつたのだらうか、といふ事《こと》を考《かんが》へてると、いつの間《ま》にか涙《なみだ》が浮《うか》んで來《き》てならなかつた。
 まち子《こ》は、ふと昔《むかし》のことを考《かんが》へると、なんとなく自分《じぶん》の身《み》が急《きふ》にいとしいものゝやうに思《おも》はれて、そのいとしいものをかい抱《いだ》くやうに身《み》をすくめた。
 まち子《こ》は、いつも窓《まど》に向《む》いて椅子《いす》に腰《こし》をおろしてゐた。その四|角《かく》な彼女《かれ》が向《む》いてる硝子窓《がらすまど》からは、黄色《きいろ》い落葉松《からまつ》の林《はやし》や、紫色《むらさきいろ》の藻岩山《さうがんざん》が見《み》えて、いつもまち子《こ》が腰《こし》をおろして涙《なみだ》ぐむ時《とき》は、黄昏《たそがれ》の夕日《ゆふひ》のおちる時《とき》で硝子窓《がらすまど》が赤《あか》くそまつてゐた。まち子《こ》は、涙《なみだ》が浮《うか》んで來《く》ると、そつと瞳《ひとみ》を閉《と》ぢた。そして、いつまでもじつとしてゐた。初《はじ》めは、兄妹《きやうだい》たちの聲《こゑ》が隣《となり》の室《しつ》から聞《きこ》えて來《き》た。そして彼女《かれ》は悲《かな》しかつた。けれどもだんだん何《なに》も聞《きこ》えなくなつていつの間《ま》にか彼女《かれ》は、無《む》にゐることを覺《おぼ》えるやうになつたのであつた。
 まち子《こ》は、その時《とき》その足《あし》の爲《た》めに未來《みらい》がどうなるかとも考《かんが》へなかつた。自分《じぶん》がその足《あし》の爲《た》めに世《よ》の中《なか》にどんな心持《こゝろもち》で生《い》きなければならないかと、いふ事《こと》も考《かんが》へなかつた。只《たゞ》、その時《とき》知《し》つたのは自分《じぶん》の心《こゝろ》の自分《じぶん》の肉體《にくたい》の限《かぎ》りない淋《さび》しさであつた。
 自分《じぶん》の病氣《びやうき》はその後《ご》上京《じやうきやう》して、すぐに結核性《けつかくせい》の關節炎《くわんせつえん》だといふ事《こと》がわかつたのだと、まち子《こ》は、ふと夫《をつと》の顏《かほ》を見《み》ながら考《かんが》へた。その時《とき》、まち子《こ》はもはや起《お》き上《あが》ることが出來《でき》なかつた。そして切斷《せつだん》して松葉杖《まつばづゑ》をつく身《み》になつたのである。まだ若《わか》い十八の年《とし》に、彼女《かれ》は、淋《さび》しい昔戀《むかしこひ》しいやうな心持《こゝろもち》になつて、もしも自分《じぶん》が松葉杖《まつばづゑ》をつかない壯健《そうけん》な女《をんな》であつたならば、自分《じぶん》の運命《うんめい》はどうなつたであらうかと考《かんが》へた。いまとおなじ生活《せいくわつ》をしてゐるであらうか。
『默《
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング