、お葉には今病気をしてるといふ自覚は、ほとんどなかった。そして彼女がいまどれ丈けの絶望と、かなしみに捕へられるかもしれなかった。只疲れては眠り、人の顔を見ては微笑し、本を読んではいろいろ幻のなかに浸って暮らした。そして母親は、彼女がすべての経過がよく悲しみに捕はれないのを喜んだ。看護婦は彼女の心の強いのをほめた。しかし彼女は、自分の現在を少しも知らなかった。
 その晩、彼女は昼間の眠りの為めに夜は早くからめざめた。お葉は、いろ/\と昼逢った紫の女に送る手紙などをローマンチックに考へながら、前から車の音をきいてはゐたが、あまりに夜が長いのに、起き上る事の出来ない身体の痛みに悶えてゐた。
『ね、お母さん。』お葉は、母親が起きてるやうな気がしたので、何を言ふともなく声を出した。
『あの、車の音がきこえるのに、なか/\夜が明けないんだもの。』
『車?』母親は耳をすました。
『雨が、また降り出したんぢゃないかい。何時頃だらう。』母親が時計を見た時、まだ漸く一時半であった。
『まだ、なか/\だよ、もう少し枕をたかくしたら寝やすいだらうね。』
『ぢゃ、お母さん、あの車はそんなに早くから歩いてるの。』
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