前言葉をかけた見しらぬ女に逢った。彼女は廊下の窓際に斜に置かれて、小雨のふる中に垂れ下った梧桐《きり》の葉の淋しさを眺めて居た。側には三十位の女が輸送車の上にあを向けにねて、自分の手の色をぢっと見てゐた。
 その時、交換場の中から、その女の輸送車が引き出された。その女は紫の着物を着て淡紅色《ときいろ》の袖口で顔をおほうて居たが、彼女の前に来て、ふっと驚いたやうに目を見開いた。そして優しくなつかしさうな瞳をしてお葉を見た。
『今日は、およろしくって?』
『えゝ。』彼女はまたあはてゝ、何も言ふ事が出来ずにうなづいて笑った。輸送車は、もう通りすぎてしまってた。お葉は、ベッドに戻ってからも、紫の着物を着てた女のことばかり考へられた。しかし病室は牢獄のやうに、一つ/\厚い壁にさへ切られて、隣の人さへわからない。
 彼女は、その女の美しい眼を考へた。美しい手を考へた。そしてその女は必ず幸福だらうと思った。そしてその女は物語のやうに美しい恋をしてる人だと考へて、なつかしくってならなかった。そして彼女は一日でも逢はないと心配でならなかった。丁度恋をしてるやうに物足らなくって淋しかった。そしてその時には
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