る。明日を求める心は、やがて三十四を求める心でないだらうか。
 お葉は本當に強く生きなければならない。そしてまた強く死ななければならないと思つた。それで道を歩いてゐる時、家に仕事をしてゐる時、豫期しない死の襲つて來るのを怖れた。彼女は怖ろしい響を殘して行き過ぎた電車のレールを横ぎらうとして、その輝くレールの上に、自分の黒髮の亂されてある事を思つて戰慄《をのの》いた。又靜寂な夕暮れの公園の砂利の上を歩きながら、杖の下の小石が思ひがけなくクルリとかへつてトンと下つた時、このまま大地に再び立上られなくなることを思つて驚いたのである。また彼女が妹の友染《いうぜん》の衣を縫ふ時、この片袖のつかない明日といふ日に目隱しされたやうに再び、この世を見ることが出來なくなりはすまいかなどと思つた。
 お葉はいま紫いろの海のやうに暮れてゆく市中を、二階の窓に立つて、限りなく果てなく見入つてゐたのである。灯がつく。一つ一つ灯がつく、彩《いろ》どられた銀杏《いちやう》の淋しさに鳥は鳴いてゆくのであつた。彼女はその時初めて心のなかにうつした男の戀しさを考へたのである。白梅の散るころ、明るく輝き出した目のなかに、お
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