そしてお葉は自分が三十三に死が斷行された時、幸福である死と生を考へた。自分の生命は自分のものである。出來る丈幸福に美しくあらせたいと思つた。
お葉は二十五に死んでも不可《いけ》ない。三十に死んでも不可ない。三十二に死んでも不可ない。彼女はもしも浮世のある僥倖《げうかう》に引きずられて、三十三といふ年齡を通過したならばと考へて悲しんだのである。また日が暮れて一日の悔《くい》と悲しみが心に殘るやうに、日が暮れて希望や計畫が明日といふ日に殘るやうに、三十三といふ年に於いて三十四といふ年を思ひ、そこにすべての執着が殘つたならばといふことを怖れたのである。一日に於いて一日の事は終らねばならぬ。今日といふ日から明日といふ日につづいてゐてはならぬ。すべて引ずられるといふ事は恐ろしいことだ。引ずられて三十四といふ年齡を見た時、そこにやがて五六七八の年は連《つらな》つてゐる。死の力も生の力も衰へて奪略さるるのを待つといふ事は、なんといふ淺ましい醜いことであらう。
お葉は仕事もなく考へもなしに終つた一日を、一人床の中に考へた時、泣く程|口惜《くや》しく思つたのである。その心が餘儀なく明日といふ日を求め
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