淋しかつた。襖《ふすま》を開け放した彼女の座敷に、ほの白く新らしい箪笥が見えて、鏡臺の鏡が遠い湖の表のやうに光つてゐるのであつた。お葉はその時かすかによせて來る蚊のうなりを耳にしながら、現《うつつ》ともなく行末のことに思ひふけつたのである。
 その時彼女は夢のやうな死を考へた。空のやうに美しい死がお葉の現《うつつ》に見る行末だつたのだ。お葉の心は清かつた。しかし清いものは淋しい。彼女の膝の關節の水のしみ入るやうな痛みは、その時丁度快い刺戟のやうに、茫然と開いてた瞳の中に、涙をみなぎらしてゐたのである。
 お葉はなほ臺所に腰をかけたまま、その當時のことを考へて見た。そして靜かに瓦斯の火を見つめてゐたが、いまにも誘はれ易さうな涙は容易に瞳をうるほさなかつた。
「眼のよい子だつたねえ、そして髮の毛の莫迦《ばか》に黒い――。」
 お葉の兄は失つた子のあとを追ふやうに、時々|茫然《ぼんやり》とそんな事を言つた。
「本當に私などもお前たちよりは孫の方をどんなに待つたかしれないのだけれども――定めて孫が來たならば、かうだらう、ああだらうと毎日言つてたんだが、またお葉がかうして坐つてゐたならば、きつと
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